12.山口大学の実験室における「ガラス器具の洗浄」についての実態調査

─ 「ガラス器具の洗浄」に関するアンケートの集計結果 ─

排水処理センター運営委員会

1.はじめに

 昭和40年代半ばに,水質汚染や大気汚染などの公害問題が社会的に取り上げられ,発生源の責任が追及された。大学や一般家庭も汚染物質の発生源の一つであり,科学者や技術者はもちろん,広く社会一般の人々にも環境保全に対する意識の変革が求められた。この問題を解決するために,多くの人々の多年にわたる努力が積み重ねられた結果,排水処理などの考え方や技術の進展が見られ,なお多くの解決すべき問題を残してはいるものの,社会的には鎮静化に向っている問題と受け取られている。

 自然科学系の実験室ではガラス器具がよく用いられている。実験の精密さが増すにつれ,そのガラス器具の清浄さが要求される。公害問題が表面化する以前には,ガラス器具の洗浄剤として,六価クロムを含むクロム酸混液がその高い洗浄効果のゆえに広く用いられていた。この混液の成分の六価クロムがそのまま環境に排出されると,その高い酸化力などによる有害性のため,自然界の生態系に著しい悪影響を及ぼす。適切な還元剤を用いて六価クロムを三価クロムにまで還元すると,通常の重金属イオンと同程度にその有害性を低下させることができる。ところが,当時六価クロムなどの処理系統が山口大学の中に整備されていなかったことから,多くの実験室では環境を保全するために,クロム酸混液の使用が廃止されるようになった。しかし,研究・教育の中で実験を実施しないことがあり得ない以上,ガラス器具の洗浄をやめることはできない。そこで,クロム酸混液の代替物として,強酸,アルカリや各種界面活性剤が利用されるようになってきた。ところが,これらの利用もそれぞれ問題を抱えている。例えば,理化学用洗剤はその成分が公表されていない。陰イオン界面活性剤は排水処理場の活性汚泥によって分解することが分かっているが,その濃度のモニター体制が整っている所はほとんどない。また,界面活性剤のうちある種のものは自然界あるいは処理場での分解過程が十分解明されているとは言い難い。一方,現在は六価クロムの処理方法や排水中のそのモニター方法が確立されている。従って,実験室で適切な使用や処理が行われるならば,素性のはっきりしたものだけに,場合によってはクロム酸混液を利用した方がよいという声もある。本学の各実験室の現状は,各講座・教官独自の考え方によりガラス器具洗浄剤が選択されており,必ずしも洗浄方法についての意思統一はない。

 排水処理センター運営委員会としては,環境を汚染することがなく,しかも種々の目的に合った,山口大学として望ましい「ガラス器具洗浄法」を確立したいと考えている。そこで今回,手はじめに本学における実験用ガラス器具の洗浄法の実態を調査した。

2.アンケート謂査

 アンケート調査用紙は昭和59年10月9日配布し,昭和59年11月17日に回収した。アンケートの調査内容は,大別して学生実験におけるガラス器具等の洗浄と,研究室におけるそれの二つから成っている。この二つの内容について,関係ある講座・教宮・試験室等すべてを対象にして回答を依頼した。アンケートの全文を資料1に示した。アンケートの配布数と回答数を部局別に表1に示した。アンケート調査では,洗剤を便宜上次の3種類に分類した。

(1)石けん

天然高級脂肪酸のアルカリ金属塩が主成分であるが,種々の添加物を含む。

(2)合成洗剤

 主成分は陰イオン性界面活性剤である。陰イオン性界面活性剤を含むクレンザーもこれに含めた。

(3)理化学用洗剤

 本質的には合成洗剤に含めるべきもので,主成分は陰イオン性界面活性剤又はそれと非イオン性界面活性剤との混合物である。

 これらの洗剤以外に,(4)逆性石けん・クロルヘキシジン(ヒピテン)など消毒剤がある。逆性石けんの主成分は陽イオン性界面活性剤(4級アンモニウム塩)である。

表1.部局別アンケート配布数及び回答数

3.調査結果

 アンケート結果を部局別にまとめて表2に示した。合成洗剤及び理化学用洗剤は液体と固体の二種類の状態のものがあるが,便宜上液体の比重を1として重量に換算し,重量表示に統一してまとめた。本学全体の傾向や洗浄剤の使用方法・処理についての意見等を以下に示す。

(1)使用済み廃液の処理

 石けん,合成洗剤及び理化学用洗剤の廃液は「流し」にそのまま流し,酸・アルカリの廃液については中和後「流し」に流す方法と少数ではあるが「特殊廃水」に合わす方法がとられている。クロム酸混液の廃液は「特殊廃水」として処理され,クロム酸混液の付着したガラス器具をすすいだ溶液も「特殊廃水」に合わされている。「特殊廃水」に加える「すすぎ溶液」は1〜4次までのものが回収され,その内訳は1次「すすぎ溶液」までを「特殊廃水」に加えている実験室が6箇所,2次「すすぎ溶液」までは1箇所であった。「すすぎ溶液」を「特殊廃水」として処理しないように読み取れるアンケートの回答が2箇所あったが,その実態は不明である。

(2)洗浄使用目的・対象及びその洗浄効果

 石けんは主として手洗い用に使われている。ただし,ガラス器具等の洗浄直前の手洗いかどうかは不明である。一部の意見として,石けんはガラス器具の洗浄力が劣るというものと,蛍光染料等を含まない石けんを使いたいが入手困難というものがあった。合成洗剤はガラス器具の洗浄やタンパク質や血液等による汚れを除く目的で用いられている。また,安価で使い易い利点があり,超音波洗浄機と併用すると洗浄効果が大きい。クレンザーはインクなどを落す場合に便利であるが,ガラス器具に傷をつけることがあるという欠点を持つ。洗剤ではないが,酸性白土も同様な洗浄効果を持つ。理化学用洗剤もガラス器具洗浄に広く用いられているが,効果が大という評価が多かった。しかし,汚れがよく落ちない(2箇所),保存すると効果が下がる(1箇所),ガラスが侵される(1箇所)という低い評価の意見もあった。使用方法をよく考えて使うと安価で使い易い。

 クロム酸混液は有機物やその他全般にわたる汚染の除去に使われている。使用理由は第1位が「汚れがよく落ちる」(16箇所)で,「廃液が重金属廃液として処理できる」と「以前から使用している」がこれに続いている(各10箇所)。他方,クロム酸混液を使用しない理由としては,「廃液の処理が大変である」(60箇所)ことや,「六価クロムの有害性」(58箇所)が主で,「飛沫等により皮膚や衣類をいためる」(24箇所),「すすぎが面倒である」(23箇所),混液を「作るのが面倒である」(17箇所)などが続いている。クロム酸混液の使用者の使用理由と「すすぎ溶液」の取り扱いの関係を調べた(表3)。クロム酸混液で洗浄したガラス器具をすすぐ場合,「すすぎ溶液」中に含まれる六価クロムの量はそのすすぎ方によって著しく異なる。しかし,通常のすすぎ方であれば2回程度の「すすぎ」の実施により六価クロム残留の問題は解決され,それまでの「すすぎ溶液」を「特殊廃水」として処理すれば環境汚染の心配はない。1次「すすぎ溶液」までしか「特殊廃水」として処理しない場合でもそのすすぎ方が十分ならば問題ばない。「すすぎ溶液」を「待殊廃水」として処理していないように受け取れる回答がもし事実とすれば問題である。表3から,使用理由として「以前から使用しているので」を回答した実験室以外は「すすぎ溶液」の処理が不十分であることがうかがえる。このことは,クロム酸混液を従来から使用して来た者は六価クロムの有害性を十分理解しており,十分配慮してクロム酸混液を取り扱っていることを示唆している。

表3.クロム酸混液使用理由と「特殊廃水」に加える「すすぎ溶液」の次数との関係

(回答数,複数回答あり)

注)使用理由の番号は次のとおりである。

1 汚れがよく落ちる

2 廃液は重金属廃液として処理できる

3 以前から使用しているので

4 経済的理由(理化学用洗剤より安い)

 クロム酸混液の代替物を明らかにするために,3種類の洗剤の使用割合をクロム駿混液使用と不使用に分けて表4に示した。それによると.クロム酸混液不使用の場合に理化学用洗剤利用の割合が特に高く,理化学用洗剤が代替物として用いられている傾向がうかがえる。理化学用洗剤の主成分である陰イオン性界面活性剤は排水処理場の活性汚泥によって分解されることが分かっているが,その他不明成分が理化学用洗剤に含まれている可能性があるので,その廃液をすべての回答が「『流し』に流す」としていることにはいささか不安がある。

表4.クロム酸混液の使用と合成洗剤等の使用との比較(回答数)

 六価クロムが有害であるという理由からクロム酸混液を使用していない場合,その代替物として強酸や強アルカリを用いている所がある。クロム酸混液の不使用理由と酸・アルカリの処理方法の関係を示した表5によると,酸・アルカリを「中和して『流し』に流す」処理方法をとる所の大半が六価クロムの有害性をクロム酸混液の不使用理由にあげているので,環境汚染防止や安全性に対する配慮からクロム酸混液の不使用を決定しているものと受取れる。しかし,酸・アルカリの処理方法で,単に「『流し』に流す」の回答が多くあり,使用しない理由の2〜5の回答が多いことと考え合わせると,クロム酸混液の取り扱いの不便さがそれを使用しないもう一つの要因と考えられる。酸・アル力リを特殊廃水に合わす所があるが,重金属等を含有している場合以外は,中和して「流し」に流すべきである。

(3)クロム酸混液使用に対する意見

 クロム酸混液の廃液及びその「すすぎ溶液」は「特殊廃水」に該当し,「流し」から放流してはならないことが学内規則ではっきりと定められている.1) したがって,クロム酸混液を使用する際に不測の事態が起こることを心配して,アンケートの回答者から次のような意見が寄せられている。

 ○廃液の処理が確立されていないこと,Cr6+は有毒であることから使用を禁止すべきである。

 ○使用すること自体は悪くないが,使用する場合には常に排水の監視が必要である。常盤地区にはそのような施設がないので使用しない方がよい。

 ○工学部としては使用できないと定められているように理解している。

 ○ガラス成分の溶出,Cr6+の残留が心配である。追放してもよい。

 ○洗浄時間が長くかかり,経済的にもすぐれていない。故に禁止してもよい。

 ○合成洗剤,理化学用洗剤の処理方法が確立されておらず,又,その影響するところも不明確である。むしろ,処理方法が定まり,素性のはっきりしているクロム酸混液を利用すべきである。

 ○クロム酸混液にまさる洗浄剤はないと思うが,使用できないと思っていた。使用できるならば利用したい。

 ○クロム酸混液に代る洗剤の効果について示して欲しい。2)

4.総評

 アンケートの回答を全般的に見ると,ガラス器具を極度に洗浄する必要がある実験室は比較的少なかった。しかし,少数派とは言え,実験の性格上,クロム酸混液を必要とする実験室が依然として存在する。本学の吉田地区においては,六価クロムを含む重金属イオンのモニター体制が整備されているため,廃液や「すすぎ溶液」を「特殊廃水」として処理するなどの対策を十分にとるならば,クロム酸混液の使用に問題はないであろう。幸い,「すすぎ溶液」の処理に問題があるように受取れる回答があったにもかかわらず,本学の吉田地区における排水中に六価クロムの濃度が排水規制の基準値を越えることはなかったし,排水の流出先である九田川の河水中に六価クロム濃度の増加は全く認められなかった。宇部地区では市の汚水処理が完備しているために学内に特別なモニター設備を有していない。従ってこの地区の実験室のほとんどはクロム酸混液の利用を遠慮しているのが実情である。このように,現在では六価クロムの有害性が学内に周知徹底しており,排出規制の基準値以上の六価クロムが学外に排出されていることはない。しかし,六価クロムのモニター体制のない所でも,廃液の処理等の対策を十分に講じれば,クロム酸混液の利用は不可能ではない。もっともクロム酸混液で洗浄する必要のない場合や不十分な後始末しかできない場合の利用は差控えるべきであろう。

 一般に,大学においては,いわゆる「有害物」をT有害性Uのみの面から短絡的に使用しないとするのではなく,廃棄物の非拡散 ─ 無害化処理を通じて,環境を汚染しないような行動と知恵を前提として使用するとの視点も考慮の対象となるのではあるまいか。

 一方,多くの実験室ではクロム酸混液の代替物を利用しているのが現状であるが,この場合に,それらの廃液がすべて排水系統に流れていることが心配である。酸・アルカリについては,中和後放流の原則を守れば問題は少ない。界面活性剤については,現状ではその排出規制がないためにそのモニターを行っていない。界面活性剤の大部分は排水処理場等の活性汚泥により分解・消費されていると考えられているが,そのことを絶えず確認している訳ではない。陰イオン性界面活性剤については例えばメチレンブルーによる向流抽出分析法というモニター法が開発されているように,対策はいくらでもあるであろう。いずれにしても,ある物質が規制になった場合に,十分な検討を加えないうらにまだ規制の行われていない代替物の使用に切り替えるという対応には問題はないであろうかという声がある。

 山口大学排水処理センターは,昭和59年l0月に「廃水処理の手びき」を出版し,全学の関係学部の教官等に配布した。3) この手びきは,まだ完全なものとは言い難いが,廃水処理に困った時や排水系統を利用する時の不安を解決する上で役立つものと思われる。アンケート結果を見ると,排水処理センターやその運営委員の広報活動が,まだ不充分であることがうかがえ,今後共その面での努力が必要であるであろう。

引用文献等

 l)山口大学排水処理規則第3条昭和58年2月8日改正

 2)市販のガラス器具用洗浄剤の試験結果については、岩城硝子Mカタログ所載の技術資料に記載がある。

 3)山口大学排水処理センター「廃水処理の手びき」昭和59年l0月

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資料1.「ガラス器具の洗浄」に関するアンケート

『ガラス器具の洗浄』に関するアンケートについてのお願い

 昭和45年のいわゆる公害14法の改正あるいは制定にともない,従来からガラス器具の洗浄液として広く利用されてきたクロム酸混液が最近あまり利用されなくなってきております。

 一方,それに代わるものとして強酸や各種界面活性剤が利用されるようになってきました。

 しかし教育・研究あるいは検査等で用いる各種ガラス器具洗浄について水質汚濁あるいは自然環境の汚染をおこさないようにするために,どの様な洗浄方法を用いるべきか未だ十分な検討がなされていないように思います。

 そこで,諸先生に,常日頃行っておられる実験用ガラス器具の洗浄方法についての情報を披瀝して頂き,山口大学として,よりよい『ガラス器具洗浄法』を確立していきたいと願っております。

 何卒御協力の程お願い申し上げます。

 なおこのアンケート調査を行うに当たり当委員会は次の諸点に留意致しました。

 1)記載者は匿名とする。

 2)回収したアンケート用紙は,排水処理センター運営委員会が責任をもって保管する。

 3)アンケートの依頼先は,関係ある講座,教官全員を対象とする。

(アンケート記載上の注意)

アンケート用紙は学生実験におけるガラス器具等の洗浄と,研究室および検査室,試験室等におけるそれの二種に分けてあります。該当事項に合わせてご記入下さるようお願いします.

 なおアンケート用紙は11月17日までに排水処理センター猪股あて学内便でご返送下さるようお願いします。