1.大学の環境について
学長 粟屋 和彦
健康にとってよい風とよくない風については上述した。私は次に水について ─ 病気をおこす水,健康に大変よい水,そして水がもたらす害について ─ 述べてみたい。水の健康に及ぼす影響は非常に大きいからである。(ヒポクラテス「空気・水・場所について」)
ヒポクラテス(Hippocrates,475−380,B.C.)は空気と水と住む場所が人の健康と病気に大きなかかわりをもつことを説いた。病気を「神のいかり」に帰していた当時の疾病観に対して,ヒポクラテスは敢然と論戦をいどみ,人体の健康と病気の成立に外的環境を重視すべきことを提唱したのであった。私たちはここに既に衛生学的な考え方の芽ばえをみることができる。
しかし,近代科学としての衛生学の基礎はドイツのペッテンコーフFル(Max von Pettenkofer,1818一1901)によって築かれた。ペッテンコーフFルは1847年ミュンヘン大学教授として化学講座を担当し,食品化学から衛生学の領域に研究を進め,1852年衛生学の教授になり,1866年衛生学教室を創設した。その後は空気,地下水,衣,食,住(換気,暖房,採光),廃棄物の処理等の問題について実験科学的に研究した。なかでも,コレラやチフスの伝染に関する研究は有名で,コレラの流行には水が関係し,とくに地下水が問題であることを力説し,ミュンヘンの町に下水道を完成させてその流行を激減させた。ペッテンコーフFルは自説に強い自信をもち,1882年にすでにコッホ(Robert Koch,1843一1910)によってコレラ菌が発見されていたにもかかわらず,それがコレラの病源菌であることを認めようとはせず,自らの身体をかける大きな実験を行った。1892年11月2日,ペッテンコーフFルは堅い信念をもって肉汁で培養したコレラ菌を一気に飲みほした。これは正に1連隊の兵士を殺すに足る菌量であったという。そして,「たとえ私がまちがっていて,この実験が命を危うくするものであっても,私は落ち着いて死を迎えるであろう。兵士が名誉の戦死をするように,私は学問のために死ぬのである。」と言った。ペッテンコーフェルは幸運であった。そして死ななかった。身体の防衛力が菌力を上回ったのであろう。学問的信念の強さもその体力を補ったのかもしれない。その功罪は別にして,ペッテンコーフFルの近代衛生学の開拓者としての功績は大きいといえるであろう。
大気汚染と水質汚濁,易しくいえば空気と水のよごれの問題は,今日なお環境衛生学の重要課題となっている。空気と水と場所の重要性は紀元前4−5世紀のヒポクラテスの時代も120年前のペッテンコーフェルの時代も今も少しも変ってはいない。人が生活するところ,必ず環境とのかかわりが生ずるはずである。さて,わが山口大学ではつとに環境の保全に努めており,とくに生活排水と特殊排水(たとえば理科系の実習や実験から出る有害物質を含む排液)などの処理に大きな努力を払っている。この問題には山口大学排水処理センターが対処しているが,限られた予算の枠内での作業にはなかなか苦労も多いと聞いている。しかし,山口大学の活動が周辺地域の環境に悪影響を及ぼすことのないよう充分な配慮がなされていることは言うまでもない。そうすることが大学自体の環境を清潔に保つことにもなる。
私たちが環境を守るうえでとかく忘れがちな問題がもう一つある。それは騒音の問題である。大学の吉田地区は幸にして市の中心部から離れた場所にあり,盛り場や商店街からの騒音は入らない。しかし,思いもかけないときに,全く突然にがなりたての声の騒音によって思索を中断されることがある。また,ときには傍若無人に走り抜ける車の爆音に驚かされることもある。これも思索を紛砕するに充分である。ショーペンハウエル(Arthur Schopenhauer,1788一1860)はその小論文「騒音と雑音について」のなかで,「騒音は私たちの思索を中断する,というよりもむしろ粉砕してしまうから,あらゆる邪魔だてのなかで最も不作法なものといわねばならない。しかし,中断されるたねが全くない場合は,もちろん騒音もとくに感じられないですむだろう。」と述べている。これを受けて,ここで「それでわかった。構内の騒音に対して何の抗議もでないわけが。わが大学には思索を必要とする人がいなくなったのであろう。それとも,大学はもはや思索をする場ではなくなったのであろうか。」と続けることはあまりに皮肉すぎるであろうか。大学は思索の量が最も多いところのはずである。私たちはもっと大学の環境を騒音から守る努力をしなければいけないと思う。
さらに,大学の環境保全のためには構内にもっと緑の樹木をふやしたいものである。いま植えた小木もやがて大樹となって,大学の構内を美しく彩ることであろう。
(60.9. 30)