ディベート教育における環境問題について

                    理学部 地球科学科 4年 梶原万紗子

 去る6月8日から6月20日までの約2週間,母校において教育実習を体験しました.実習が近づくにつれ「はたして自分は授業をうまく展開できるだろうか,分かりやすい説明ができるだろうか?」等々の心配と不安と,そして私の最初の生徒達に出会える喜びと期待が入り混じった気持ちでした.中学三年生の理科の授業と,ホームルームを担当することになっていましたが,いざ実習が始まると緊張している暇などなく,教材研究と指導案作りに追われる毎日でした.そのような中,私にとって『新しい授業』を発見する出来事が一つありましたので,ここで少しご紹介致します.

 実習校では,“ディベート”(私が中学生の頃はこのような言葉は聞いたこともなかったのですが…)なるものが授業の内外を問わず,積極的に取り入れられていました.学活の時間を使って学級対抗(ディベート式)討論大会も行われていました.現在では広く普及しているこの討論形式について,考えてみたいと思います.

 そもそも“ディベート”とはどのように理解されているのでしょうか.ディベートは本来論争を意味し,ヨーロッパでは古代から哲学者が,論争に勝つための説得方法として研究してきました.その後,論争術を育てるための教育方法として英米の大学で発達し,特にアメリカでは議論のスポーツとして,“競技ディベート”と呼ばれるものにまで発展しました.

 しかし,ここで扱うディベートはいわゆる“教室ディベート”のことで,基本的に「表現の学習」として行われている討論です.特定のテーマを決めて,肯定と否定に分かれて決められたルールの下で議論します.この場合望まれているのは,論争術を鍛える討論ではなく,肯定側と否定側がそれぞれ建設的な理論を準備し,問題についての認識を深めるための討論です.

 ちょうど教育実習の最中(6月13,14日)に母校はあるディベート大会に参加しました.“ゴミの収集は有料化にすべきか否か”という論題のもと,生徒達(中学生)は 以下のような肯定・否定の意見を考えて臨みました.

   【肯定側の意見】

・ ゴミの減量化―1人1人がゴミを出さないように心がけるため,結果的に大幅な

       ゴミの減量化につながる

・ 地球環境保全―ゴミを焼却する際に発生する,有害なダイオキシンや,オゾン層

を破壊するフロンガスの放出を抑制する効果がある

・ 社会福祉の充実―今までゴミ処理に使用していた費用を福祉関係に充てることが

        できる

・ リサイクル運動の活発化―ゴミを出さないようにするため,大型家具や家庭用電       

            気製品等は修理・修繕してできるだけ長持ちさせるよ

            うになる

           ―最近では,廃棄されたペットボトルを繊維にする技術

            等も開発されており,ゴミを資源として再利用する動

            きも見られる 

 【否定側の意見】

・ 不法投棄の増加―費用的に住民の負担が増えるので,山林等にゴミの不法投棄が  

        増える

・ 自家消却の増大―自家消却を規制することが難しいので,発泡スチロールやビニ

        ール類から有害物質が多量に放出される(大気汚染の原因)

・ 老人負担の増大―生活している以上ゴミは少なからず出るので,年金で生活して

        いる老人にとっては有料化は負担になる

 

  最初は,「ゴミ問題は有料化さえすれば,自然と解決するものだ」と思う生徒が多かったのですが,それはこの問題について深く考えたことがなかっただけで,実際に注意深く目を向けてみるとこのように様々な角度からの意見がでてきました.ディベート大会に向けて,「ゴミの有料化によってもたらされる影響」に関係する資料を集め,環境問題や社会福祉に重点を置いて生徒達なりの意見を考えることにより,環境というのはまるで生物界の食物連鎖のように,それぞれが重要な役割を果たし,互いに影響を与えあっていることを彼(彼女)らの中であらためて確認したはずです.また,物事には1つの面だけでなく色々な側面があり,その見方によって全く違う考え方ができることも学んだのではないでしょうか.残念ながら,県大会決勝で惜しくも敗退してしまい,全国大会へと駒を進めることはできませんでしたが,大会に向けて頑張ってきたその過程は生徒達にとってプラスになったことは言うまでもありません.

  “ディベート”を用いた授業のもつ側面として,「自ら考える力を育てる」ことが挙げられます.ディベートの性格上,相手の立場に近づいたり,影響を受けたりしながら様々な視点から“見る力”をつけることができ,結果的にこれが“考える力”につながります.考える,とは関連づけることであるとも言われています.また,討論の際に自分の意見を主張することによって(一人立ちした意見が他者に投げかけられるわけですが),そこで自分の意見について何らかの反応が返ってくることは,結果的に自分の存在意義を確認したり,与えることのできる喜びや満足感が得られることにつながると考えられます.

 教育実習では色々な意味で多くのものを得ることができましたが,その中でも一番印象深かったのがディベート授業であり,生徒達は基本的に討論(自分の意見を言うこと)が好きなのでは?と感じました.人間の物の考え方は,その最終的な判断よりも,答えを導き出すまでに至る過程や,判断の根拠の中に現れると思います.日本が民主主義である以上,基礎である“議論をする能力”を育てることは,これからの教育にとって意識的にされなければならない課題ではないでしょうか.

 教育の現場でディベートを用いることによって,生徒達がディベートの面白さを知るとともに, 与えられるよりも自分で考える事の楽しさを知る機会をもつことができます.今回,実習校ではゴミ問題を取り上げましたが,この先,生徒達がさらに環境問題について鋭い観察力をつけ,さらに自分自身の問題として取り組み,環境についてより深く考える姿勢をもつことを期待しています.