はすかいから見た環境問題
農学部 大 西 堂 文
私の趣味の一つに魚釣りがある。特にイワナ、アマゴ、ヤマメ、マス、サケなど、いわゆるサケ科の釣りが大好きで、北海道はもとより、遠くアラスカまで遠征したこともある。サケ科の魚は姿、形が美しいばかりではなく、食べても実にうまい。イワナの胃袋の塩辛など珍味中の珍味である。
そもそも私の釣りは、終戦前後の食料難時代に始まる。私は大阪の京阪沿線にある香里園という所で生れ育ったが、駅は丘の麓にあり、西側は遠く淀川まで田んぼが広がり、その合間を淀川から分水した幾筋ものクリークが縦横に流れていた。私の家は東側の丘の上にあり、まばらな人家の周囲に畑、雑木林が点在していた。子供の足で淀川の堤まで約1時間かかった。釣りの手ほどきは父から受けたが、クリークや淀川のわんど(溜まり)までフナ、コイ、ニゴイ、カマツカ、ナマズ、ギギ、ドジョウ、タイワンドジョウ、ザリガニなど、近所のガキ大将に引き連れられ、毎日のように捕りに行った。小さな小川を堰止め水をかい出して捕ったりもした(ジャッカイといった)。モンドリには今は天然記念物に指定されたイタセンパラをはじめ、種々のバラタナゴやゼニタナゴ、モロコ、オイカワが沢山入ったが、これらは苦くてまずく、もっぱら鑑賞用となった。餌の代りに赤い布片を付け、タイワンドジョウや食用ガエルも釣った。今思えば、ルアーのはしりである。釣りに飽きれば皆でフルチンになって小川やわんどで泳いだ。何度か溺れ死にそうになったが、決してそのことを両親に明さなかった。突然空襲警報を知らせるサイレンが鳴り響き、皆で石橋の下で息をひそめたことも何度かある。夜釣にもよく行った。父を先頭に真っ暗闇をこわごわ付いて行った。今のように懐中電燈や電気浮きなどない時代である。鈴をつけたり、脈釣りであったがナマズがよく掛かった。大阪の夜空が空襲による火災で真っ赤に染り手元まで明るくみえる中を釣ったこともある。獲物は全て我々の貴重な蛋白源となった。今時のようにキャッチ・アンド・リリースなど考えたこともなかった。「捕ったら食べる。食べないなら捕るな」、というのが今も私の釣り哲学である。当時、砂糖、みりん、醤油などあろうはずはなく、単に素焼(ナマズやギギ)や、塩蒸(ザリガニ)ではあったが、あの味は未だに忘れられない。あの厳しい食料難時代をなんとか無事に生き残り、人並み以上に育ったのは、彼等のお陰だといっても決して過言ではない。現在、これらの田んぼは全て埋立てられ、アパートやスーパーが乱立し、クリークはドブ川と化しいる。
田や山の緑、底石の見える川の水、豊富で多彩な昆虫・水鳥・野鳥、夜空の星の美しさ、四季おりおりの草花、こんなふるさとの景色が未だ色濃く残る山口に移って来て、いたく感激したのはもう5年前のことである。私の野性は再び眠りから目覚め、以来暇があれば山、川、海を駆け巡ってきた。しかし、実際に山を歩き、川に入り、海に船を走らせ、潜ったり、捕った獲物を食べてみると、山口の自然がいかに破壊され、汚染されているかを実感する。例えば、ほとんどの川は、堰やダムで寸断され、上流部に至るまで2面または3面張りコンクリートで固められ、さながら下水道の感を呈している。
私のアユの友釣歴もながく、これまで全国各地の河川に入ってきた。山口県でBOD(生物化学的酸素要求量)が最も低いとされる佐波川は、川に入ってみると水は真夏でも異常に冷たく驚いた。川の水は透明ではあるが褐色味を帯び、岩や砂もその色に染まり、ダムの底水独特の臭気を帯びている。しだがってアユの育ちがわるく、味や香も今一つ劣る。同じことが阿武川や木屋川でも体験される。椹野川の水はこうした欠点は少ないが、もともと水量が少ない上に、家庭廃水のたれ流しも多く、また多数の堰により水が澱むので、渇水期には水が腐りがちである。そのためアユの味は水量により極端に変化する。最近下水道の整備が進んだせいか、一時の悪臭やヘドロも少なくなり、増水期にはアユの内臓も食べられるようになったのは大変喜ばしい。県下にはこれといったアユの川はないが、比較的アユがましだと思ったのは椹野川上流域と佐々並川ぐらいである。内臓も苔独特の匂がありうまい“うるか”が作れる。しかし、ここも水量がなければやはりだめである。長門峡の水もダムのため腐っており、増水後でなければアユを釣る気にもならない。
今年の春、私の高校時代の同期生28名が、わざわざ山口までホタルを見に来るという連絡があり、当然私が全てをお世話することになった。例年の実績および何人かの専門家の意見も聞き、6月13,14日を最適日と判断した。ところがご承知の通り、今年は春から異常高温が続き、山口市のホタルのピークは5月中旬にすでに終わってしまった。この異常事態を説明し来年来るように薦めたが、山口には他にヒカリモノ(?)はあるだろうし、お前の顔もみたいということで予定通りに来るという。何とかホタルはいないかといろいろ情報を集めてみると、豊田町は例年通りの日程でホタル祭りをするという。そんな馬鹿なと思い役場の観光課に電話をしてみると、木屋川は豊田湖の底水が流れているため水温が低く、毎年ホタルのピークが一定しているという。そういえば佐波川のホタル祭りも遅かった。それなら荒谷ダムの水が流れ出る宮野の奥にもまだホタルが残っているかもしれぬと思い、6月10日の夜に偵察に行ってみた。5月の中旬にきた時に乱舞が見られたので、まさかと思っていたが、奥宮野にはホタルがまだ舞っているではないか。ダムの影響とはいえ、これほど嬉しかったことは久しくない。あとは雨だけ。祈るような気持で当日を迎えたが、あいにく朝から大雨である。ホタルのことはすっかりあきらめ来山した彼等に、取って置きのニュースを伝えたが、後は君等の日頃の行い次第であるというと、皆な自身なさそうにうなずいていた。幸い夕方にはすっかり雨も止み、念願のホタルの舞が見られ皆は大満足してくれたが、私は少し冷めた気分で眺めていた。ホタルは“清流のシンボル”といわれているが果たしてそうであろうか。よく観察すると、ホタルは必ず人家の近く、しかも下流域に多く舞っている。ホタルが食べるカワニナの餌となる野菜屑などが多いからだ。とすれば、あの幻想的なホタルの光は、これ以上の家庭廃水の汚染はいかんよと自然が放つ危険信号の点滅なのかも知れない。
環境汚染や環境破壊を知ってか知らずか、昔からの習慣として平気でやっていることは意外に多い。先日も椹野川上流域を車で走っていると、橋の上からゴミを捨てている村人を見かけた。ずっと以前、奈良の吉野川の橋のたもとでアユ釣をしていた時、上から数羽の鶏の死体を投げ込まれたことがある。よく見ると下流にも点々と数羽の死体が浮いていた。岐阜の山奥にヤマメを釣に行った時にも頭上からゴミが降ってきた。昔から川は村人のゴミ捨て場であった。海に出てみると漁師が全く同じことをしている。彼等にとっては昔から海は漁場であり、かつゴミ捨て場でもあった。「水に流す」という言葉がある通り、この悪習は今でも根強く生き残っている。タバコのポイ捨ても同類だ。川の直線化や二面張り三面張りを望むのも大抵は地元住民である。川の氾濫を防止するという利点からすると当然の要求ともいえる。全ての環境闘争がそうであるとは言えないが、反対反対と最後まで騒いでいるのは案外他所者が多いのは面白い現象である。一つに利害関係が絡んでいないからであろう。
今年秋吉台の野焼に、幸いにも部外者として初めて火付に参加することができた。斜面を走り舞上がる炎、爆竹のごとく凄じい笹の茎の弾ける音、間近に見る野焼は想像以上の迫力があった。こうした行事が何百年の昔から続き継がれ、草は肥料や家畜の飼料に利用され今の秋吉台が維持されてきた。しかし現在、それを利用する者もなく、また人手不足から野焼を続けることも難しくなり、その維持が危ぶまれている。放置するとたちまち木が生い茂り元の森に帰ってしまうという。秋吉台は実は人の手によって作られ維持されてきた自然であり、文化遺産でもあった。そこには確かに秋吉独特の自然が確立している。例えば早春の末黒の芒に真っ赤な頭を出すベニヤマタケ(今年県のきのこに指定)をはじめ、ざっと数えてもサイヨウサギン、マルバハギ、ツチグリ、ムラサキ、アカネスゲ、ハチナガヤマサギソウ、秋吉アザミ、オキナグサ、等の草花、オオムラサキ、オオウラギンチョウモン、カワモトギセル、ベニゴマオカタニシ、クチマガリシマガイ、等の貴重な小動物が生きているのである。自然とは一体何んと定義すればよいのだろうか、考えさせられる体験であった。
仕事柄、県下の山間部の牧場を訪ねる機会がある。ほとんどの牧場は多量の家畜の糞尿をたれ流しており愕然とする。毎日何10トンか計りしれない多量の糞尿が谷川や小川に流れ込んでいるのが山口の現状であるといっても過言ではない。その適正な処理の必要性を経営者や行政は認識してはいるであろうが、労力も資金もなく、文句がでないことを幸いに放置しているのが現状ではなかろうか。小川をコンクリートで固める前に、まずこの問題を解決することこそ先決ではなかろうか。
少し専門的な話しになるが、大阪から山口にきて、動物の診療面で驚いたことが幾つかある。先ず日本の大都市やその近郊ではめったに見られなくなった寄生虫病が、山口県ではまだまだ診られる。例えば犬糸状虫、犬鉤虫、犬鞭虫、東洋眼虫、マンソン裂頭条虫、肝蛭、シラミ、ダニ等々、山口はまだまだ寄生虫天国である。肝蛭症は先に述べた糞尿のたれ流しを裏付ける証拠でもある。犬糸状虫に冒され腹水で動けなくなった犬がリヤカーに乗せられ来院するなど、大阪では40年前に見られた懐かしい光景がまだ山口では生きているのである。ウイルス感染症も然りである。特に猫のエイズ、白血病ウイルス等の恐ろしい感染症が多いのには驚かされる。山口の猫はほとんど野放し状態で飼育されている事実を考えれば、これらの現象は容易に理解できよう。ウイルスの多くは、交尾や喧嘩等、感染猫との接触によって感染するからである。環境や文化程度が病気の発症と密接に関係していることを示す好例である。未だにこれほど多彩な疾病が診られる所は他にないと口を酸っぱくして学生を口説くのだが、本学家畜病院に残る研修生はめったに無く、交通事故、避妊や予防注射が主な仕事の都会の開業医に憧れて行くのは誠に困った現象である。もっとも、我々の要求にもかかわらず適切な研修生制度がなく、研究生と同様の高い入学金や学費を支払わねばならぬことが大きな要因でもあるのだが。
飛行機で日本の上空を飛ぶと、山並みのあちこちに爪で掻いたような傷跡が残っている。特に山口近辺の荒れようはひどい。いわずと知れたゴルフ場の建設である。ゴルフ場の建設自体が自然環境の破壊につながるが、恐いのは建設後の多量の除草剤の使用である。事実、上流流域にゴルフ場ができてから魚の姿が消てしまった川、背骨が曲ったり、寸づまりの奇形アユが激増した川を私は幾つか知っている。これらは主に汚染物による直接的影響であろうが、恐いのはむしろ食物連鎖による間接的影響であろう。気が付いた時には、被害は取り返しのつかないほど広がっている。最近世間を騒がせている環境ホルモンがその好例であろう。
私の研究室は吉田キャンパスの中央ゴミ焼却場に最も近い。煙突は私たちの居る3階とほぼ同じ高さで北側約百米以内の所に位置し、風の方向によっては刺激臭の強いガスが研究室を直撃し、窓を締め切ってもどこからか入ってくる。ひどい時には頭痛や吐き気がし、とても教室に居られない。困り果ててしばしば当局にその改善を訴えてきたが一向にらちがあかず数年を経てきた。ところが昨年の法の改正により、基準以上のダイオキシンを排出する焼却炉の使用が禁じられ、キャンパス内の全ての焼却炉は廃止を余儀なくされた。その結果として、私の長年の悩みは一挙に解決したのである。法の力というものをこれほど実感したことはない。居住・研究区にこんなに接近してどうして低い煙突を持つ焼却場が建ったのか、私の常識ではとうてい理解しかねるが、もし私が煙害を受けていなければ、この度の焼却炉全面廃止をどのように受取ったであろうか。いずれにせよ、法の改正やお上からの命令が出ないと問題が解決しないというのは、大学人として何とも恥かしい話しである。