環境汚染とのたたかい
医療技術短期大学部
友永 進
「山がうたをやめた 川がうたをやめた やがて海もうたわなくだろう
かって山は小鳥たちの天国だった 今はもうそんな処はどこにもない
かって川は魚たちの極楽だった 今はもう地獄でしかない
ああどこに行ったら美しい海が見られるだろうか わたしが初めて四国に来たとき わたしを一番驚かせたのは 透き徹るような海の美しさだった それが今はドロドロの油の海となった
うたを失った日本の山よ海よ そこに住む人間たちよ いったいこれから何によって 生きようとするのか」 -------
以下省略 --------
これは、坂村真民著 詩集 二度とない人生だから に記載されている「うたはやんだ」の一部である(1)。
この詩集は昨年出版されているが、筆者の想像ではこの詩「うたはやんだ」はおそらく30年ぐらい前に創作されたものと思われる。その理由の一つは、現在の瀬戸内海は、その透明度をかなり回復してきているものの、1970年代前半の瀬戸内海の透明度は極悪で、まさに坂村氏の言う「ドロドロの油の海」であり、「薄めた醤油」を思わせるほどのものであった。筆者は1966-1988年にかけて無顎動物や軟骨魚を比較免疫学の研究材料として瀬戸内海を探索した経験がある。1960年代まで青々として美しかった海が、1970年代には衝撃的に薄汚れてしまっていた。 1973年6月から2年間の予定で海外の研究所勤務となった筆者のために友人が企画してくれた宇部市の某料亭での壮行会に好物の魚の刺し身はなかった。汚染魚を調理しないとする料亭の自主的な自粛によるものであった。離日を前に東京の新橋で食べた寿司のネタの鮗の臭いと味が異様であったことを今も鮮明に記憶している。
その後の工業排水の規制の効果は劇的であったが、残念ながら以前のあの美しい海は戻ってはいない。これらの環境汚染の主役は大量の廃液を流出する化学工場であろうが、市民の出す生活排水やわれわれ研究機関からの排液も一因となっていたことも見逃せない。
豊かな自然・美しい国土であったはずの日本が、急速な科学技術の発展と経済発展の代償に、化学物質に汚染された汚染列島に転落してしまった。
近年、筆者は郷里(美祢郡美東町)に帰っての自然散策に際して、寂しい思いを禁じえない。それはかって豊富であった動物相が、今やあまりにも貧困になってしまったからである。その一例を両生類でみれば、かって多数のヒキガエル、トノサマガエル、ツチガエル、ヌマガエル、アマガエルが棲息していたのに、今では日頃目にふれるのはヌマガエルのみである。なんという急激な恐るべき変化であろうか。農薬による汚染と農業用水利水事業による棲息環境の変化が直接的・間接的な原因となっているものと考えられる。
今日までに人類が合成した化学物質は1千5百万種類以上あり、毎日2千種類以上の化学物質が新しく合成されていると言う(2)。その中で商業目的で作られている化学物質は8万7千種類あり、その内1万5千種類が日常よく使われており、さらにその内の5百種類が人体にも蓄積されていると想像されている(3)。今や、ダイオキシン汚染列島の汚名をきせられ、さらにダイオキシン汚染問題の世界のモルモットとさえ言われている日本であるが、問題はダイオキシンだけではないようだ。
これらの汚染物質の人体への影響も深刻な事態となろうとしている。その代表的な問題が、21世紀病とも言われる化学物質過敏症であり、さらに、男性の精子数の激減である(精子数は減っていないとする説がないわけではないが)。このままだと、男性不妊症が増え、人工授精を行うクリニクが繁盛する時代が来るとも言われている(2)。内分泌撹乱物質の影響は、男女の性的衝動の歪み、性の未分化をまねき、同姓愛者の増加や少子化にさらに拍車をかけることになりかねない。また、母乳へのダイオキシンを始めとする化学物質の濃縮の問題も深刻である。最近の女子の二次性徴の早まりは摂取栄養の変化によるだけではなく、内分泌撹乱物質の作用が考えられるとも言われている。このままだと、20年後には健常人はほとんどいなくなるとも指摘されている(2)。環境の極限状態において、我が郷里のカエル達は絶滅してしまった。人間にも極限状態はあるはずである。そのような状況において、ヒトはその環境に適応できるように進化しうるのであろうか?
沖縄サミットにおける結論も目指すは、人類の繁栄、経済発展である。人間中心の飽くなき利益追求が果てしなく続くということであろうか? 今までと同じ質の繁栄を望む限り、環境汚染と自然破壊の増大を保証することを意味している。「環境か経済か?」の問いは今や人類に問いかけられた最大の難問であろう。
環境問題後進国とも呼ばれる危機的な状況にあって、高等教育研究機関としての山口大学がなすべきことは何であろうか? 人間中心の(地球や宇宙を征服する人間の)教育・研究から自然の一部としての人間、地球の一員としての人間の在り方を求めることが重要ではあるまいか? 山口大学第2代目学長(故)田中 晃先生は「傲れる人本主義」を痛烈に批判された(4)。第7代目学長(故)粟屋和彦先生は「Sneipas
Omoh」の新語をつくられ、科学技術の進歩と人類の在り方を問われている(5,6)。
参考文献
1) 坂村真民(1999):詩集 二度とない人生だから。サンマーク出版。
2) 宮田幹夫(1999):このままだと「20年後の人体汚染」はこうなる。カタログハウス。
3) シーア・コルボーン(2000):人体むしばむ化学物質。朝日新聞(2000年8月4日)。
4) 田中 晃(1995):いま道元・親鸞に学ぶものー傲れる人本主義の反省-。「道元禅の実相」-正法眼蔵釈義- 晃洋書房。379-392頁 (大法輪60巻7号、1993年所載)。
5) 粟屋和彦(1990):反人間性(Sneipas)考。国立大学協会会報127号1-5頁。
6) 粟屋和彦(1995):続・反人間性(Sneipas)考。臨床と研究72巻6号11-12頁。