美しい環境とは
人文学部 坪郷英彦
本誌は工業化社会の中で生まれてきた廃棄物、汚水処理に関するものが話題の中心のようだが、その分野については女房と子供がごみの分別収集にやけにうるさくなったということしか私には書けない。ここでは最近とみに言われるようになった生活環境を考える視点に立ち、日常生活の中で人々は環境をどうとらえていたかについて事例を通して考えたい。
私は平成8年から玖珂郡錦町の一集落で民俗調査を行う機会に恵まれた。様々な視点からの調査が行われたが、その中で私たちは3集落全戸にあたる40軒の屋敷取りの調査と景観認識の調査を行った。朝起きてまず眺める景色を聞いて、そこでなにを考えているかを併せて聞いた。個別のインタビュー調査である。その結果はおよそ次のようであった。
・一番多い答えが天候の予測、季節の判断であった。遠くの山が望めるか否か、雲の動き、風の向きで経験的に判断する。
・様々な山、稜線、隣接する村の人家、道、神社等のランドマークを確認する。過疎化が進んでくると見通せる家の気配を感じることも重要なことになった。
・原野の草刈り、炭焼き、植林などのかつての労働の記憶を思い起こす。かつて人家の近くまであった草原の景色とそこで子供の頃から遊び、働いた様子を思い出す。
・ 景色を美しいと感じ、植林が進む前はもっと美しかったと思う。
他に植林した木が早く売れることを願ったり、自分が建設に関わった橋や道を確認し達成感を持つという言葉もあった。
生業との関わりが深い天候季節を読む、見慣れているのものに異常のないことを確認する、過去を懐かしむ、生産財で見ることに加えて美しさへの言及は私たちには意外に写った。訪問者が感じる景観の美しさ、すなわち造形的な美とは違う感覚の美があったからである。
この地域は傾斜地に石垣が組み上げられ、棚田が作られている。かつては標高差100m程の上の集落まで棚田が連なっていたという。石垣は専門の職人が積んだものではない。自分たちが岩を割り、河原の石を運びあげて一つ一つ組み上げたものである。各家々には石工の道具であるフイゴ、テグリ、セットウが必ずある。土盛りで作ることもできたが耕作面積を広くとことが出来、長持ちのする土手にするには石積みが良いと考えられていた。家屋敷も石垣を組み、土を入れ平面を作った。
親から子への伝承として「ギシを常に美しくしておけ」という言葉があった。ギシとは石垣のことである。膨れたりした石垣はやがて崩れる前兆だから組み直さなくてはならない。草が石垣の上や石間からのぞいているのはすぐさま刈らなくてはならない。この言葉にはいつも石垣を管理し、手を入れているかの含意があるのである。生活する人たちが感じる美しさは生業を営むための環境の維持管理から生まれる一定の秩序に対するものなのであろう。
農業基本法が改められ、農業の持つ多面的機能の発揮が基本理念の一つとして位置づけられた。多面的機能とは国土保全、水源の涵養、自然環境の保全、良好な景観の形成、文化の伝承の役割であり、単に効率の悪い土地として捉えられていた棚田がクローズアップされだしたのもこうした動きの一つである。デパートで棚田100選と銘打って展覧会が開かれ、100選に選ばれた地区はカメラを持った都市住民が多く訪れるようになった。その人たちにその美しさが生業の秩序から生まれたものであることを伝えること、さらには日々生活する中で様々な景観の認識があることを伝える必要があると思う。棚田を目の前にして、あるいは写真パネルを前にして、「石垣の草を取るとき蛇が石の間にいることがあっていやだった」と語り告げる人も少なくなるであろうから。