5.松枯れの生物的環境
農学部 勝本 謙
昭和47年3月に山口県自然保護条例が制定され,翌48年3月には県下ll箇所の緑地環境保全地域が指定された。その一つに山口市の姫山が入っている。山口県の県の木がアカマツであることから,県民の身近にあって松の緑の美しさを保っている場所をという要望があって姫山が候補地に選ばれ,私はそのとき植生の概要について調査報告書を書き,指定をみるに至ったのである。指定を受けた当時は,周囲の水の流れに映え,四季それぞれに趣のある美しい松林であった。しかし,l5年を経たこの頃では,あちらこちらに立ち枯れたアカマツの姿がみられ,皮肉なことに,緑地環境保全地域の標札が建てられている地点あたりから山を仰ぐと,アカマツならぬ赤枯れ松の惨状に心痛むのである。 松が枯れてしまっているのは,一般に云われているように「松くい虫」の害であろう。もっとも,松くい虫というのは特定の種の昆虫の名ではなく,マツ類を加害するゾウムシ科,キクイムシ科及びカミキリムシ科に属する約40種の穿孔虫類を一括して呼んでいる名称である。長い間,松枯れの元凶はこれら穿孔虫類であると考えられてきた。そこで戦後奨励された防除法は,枯れた松をすみやかに伐り倒し樹皮を剥いで焼却し,穿孔虫類の幼虫を羽化前に焼殺することであった。もちろん薬剤による防除も併行して実施されていた。この方法はかなり効果をあげることができて,松枯れの被害面積は昭和24年頃の約l30万Fをピークに次第に減少し,昭和34年頃には約27万Fに低下した。しかし,翌昭和35年以降はまた漸増の様相を呈している。被害の形式にも変化がみられ,被害地域は沿海部から内陸部へと拡がり,また,老齢木ばかりでなく幼齢木にまで急激に枯死するものが出てきて,生態的に松枯れを見直す必要に迫られてきた。その後,昭和40年前後からの研究の結果明らかとなったことは,松枯れを起こす直接の原因となるのは穿孔虫類ではなくてマツノザイセンチュウという微小な線虫の一種であること,さらにこの線虫を松から松へと運ぶ穿孔虫類の一種マツノマダラカミキリの役割と生態,それに線虫及びマツノマダラカミキリと深い関わりをもつ微生物一一菌類の存在であった。この三者の共生関係がマツを舞台に展開し,松枯れへと発展する。生態的にこれを追ってみよう。5,6月頃枯れたマツから羽化して飛び立ったマツノマダラカミキリの成虫は,交尾・産卵までの約3週間,さかんにマツの若枝を食害し(後食という),このとき,カミキリ成虫の気門から侵入して気管,気管支に充満していたマツノザイセンチュウが傷口からマツ体内へと侵入することになる。線虫の幼虫はマツの柔組織細胞から栄養をとって増殖しながら(分散型幼虫)とくに樹脂道,通道組織を破壊し,マツの萎凋・枯死をひき起こす。7月頃には線虫が侵入・増殖したマツは樹脂浸出異常を起こし,外観は健全樹と変わらず緑を保っていても,機能的にはすでに枯死したのと同様の状態になり.夏を過ぎると急に葉が変色して人の目にも異常が明らかになる。マツノマダラカミキリは健全樹には産卵することなく,樹脂浸出異常を起こしたマツにだけ集まって産卵する。カミキリのふ化幼虫は初め樹皮下にあり,秋から冬にかけては材中に孔道を掘って入りこみ越冬し,春になると孔道のつづきにさなぎ室を作って5月頃さなぎとなる。線虫の幼虫はさなぎ室壁面材中の不飽和脂肪酸成分にひき寄せられてさなぎ室に集まり(耐久型幼虫),カミキリが羽化するときにその体内へ入って行くのである。線虫がマツ体内で増殖するときにマツの柔細胞から栄養をとることは前に述べたが,柔細胞と同時にマツ組織内に潜在する二,三の菌類の菌糸もまた線虫の栄養源となることが判っている。しかし,マツが樹脂浸出異常を起こすと柔組織細胞は乾いてしまい,同時に上記の菌類も消失してしまう。このころからの線虫の餌として登場するのがマツノクワイカビという菌である。マツノクワイカビは,もともとマツ材に発生して材を青黒く変色させるマツ青変病の病原菌であるが,線虫が入って枯死したマツでは,枯死とともに樹の上部から下部へと蔓延しながら増殖し,線虫の栄養源ともなる。この菌はさらにカミキリのさなぎ室へ入りこんで密生し,子実体を多数形成すると子実体先端の口孔部に粘質物に包まれた胞子塊を出し,この胞子塊がまたさなぎ室に集まった線虫の餌となる。カミキリが羽化するときマツノクワイカピの胞子は虫体の表面に付着し,カミキリの後食に際して線虫と同様に傷口からマツ材組織へと侵入して増殖する。つまり,マツノマダラカミキリは,マツにマツノザイセンチュウと線虫の餌となるマツノクワイカビを同時に接種し,マツノザイセンチュウによって樹脂浸出異常を起こしたマツに幼虫の生活の場を求めて産卵する。またマツノザイセンチュウとマツノクワイカピはマツノマダラカミキリによって新たな増殖の場となるマツ樹へと運搬され,マツノクワイカビはマツノザイセンチュウの栄養源として利用され,三者の間には共生的な密接な関係が成立しているのである。先年新聞で松枯れの原因は青変菌の一種にあるとする新説が報道されたことがあったが,生態系内の一個体群のみに目を奪われた論議であった感がある。 松枯れの生態が明らかになれば,これを防ぐための考え方も自ずと定まってくる。第一に,羽化して後食を続けるマツノマダラカミキリの食害傷口から線虫が入ってマツが枯れるのであるから,この時期のカミキリ成虫の生息密度を低下させ,後食を防止することが重要である。実際5,6月に薬剤散布が行われているが,ここで薬剤散布と環境との関係が問題になってくる。一般耕地の農作物と違って,林木ではl本l本に人力で薬剤をかけて廻ることは不可能であるから,松枯れ発生地では区域を定めて空中散布を行うことになる。薬剤の空中散布が穿孔虫類の防除にさほど効果をあげていないばかりか,他の昆虫,小動物などに影響して生態系を破壊し,天敵を減少させる結果を招いているという非難の声がある。次に,マツノマダラカミキリは7,8月頃樹脂浸出能の低下したマツに集まって産卵するのであるから,被害立木に薬剤を施用してカミキリの幼虫を殺し,マツノマダラカミキリの生息密度を低下させることが考えられる。この方法は,時期が遅くなってカミキリの幼虫が材部へ入りこんでしまってからでは効果があがらないので,早日に薬剤を施用する必要がある。実際問題としては経費と手間は大変なものである。そのほかに考えられるのはマツノザイセンチュウを薬剤で殺す方法で,すでに樹幹に殺線虫剤を注入する方法が開発されている。また長期的展望の下に,マツノザイセンチュウに対して抵抗性を示すマツ品種の育成が研究されている。最後に間接的ではあるが,カミキリの生息密度を低下させるために,線虫以外の原因によるマツの枯死樹をも少なくすることが大切である。老齢過熟樹を処分することはもちろん,人為的要因がマツを衰弱させて穿孔虫類に産卵場所を提供する結呆となる場合があることも考慮に入れなくてはならない。大気汚染の影響,マツの根に対する環境要因の影響などである。この場合の松枯れとカミキリの繁殖は線虫とは関係なく,まさにマツの環境保全の問題である。 姫山の峰続きにあたる大学の背後の山を眺めると,ここにも赤く枯れた松が点在し,尾根筋にまで至っている。この枯れた松から果たして線虫が検出されるだろうか。実は,線虫以外にも松を枯らす生物群がある。キバチ類と共生するアミロステレウム菌,北日本に多いツチクラゲ菌など,ここ十数年の間に次々と新しい要因が明らかにされた。問題点が,松枯れが目につき始める以前にあるだけに,マツとその周辺環境の基礎的研究をすすめることが松の緑を保つことに結びつくであろう。