7.鯨論争
人文学部 工藤 康弘
大学2年のとき,専門課程に進級した私は,会話の授業ではじめて,ドイツ人に接した。何でもいいから自分でテーマを見つけて,ドイッ語で話せという。教養課程を終えたばかりの私にとって,ドイツ語で話すことはおろか,作文をするのも容易なことではなかった。ところで当時,捕鯨問題で日本は,欧米から集中砲火を浴びていた。苦々しく思っていた私は,これを会話のテーマに選んだ。メモだけを見て即興で演説できるはずもなく,私は長々と作文したドイツ語を,一晩かかって暗記して授業に臨んだ。 さて当日,私が「鯨について話します」と言って少し話したところで,突然ドイツ人が笑い出した。彼は鯨(wal)ではなく,選挙(wahl)の話と思ったらしい。こんな同音異義語があるということも,私はそのときはじめて知ったのである。そこで私ほ誤解を避けるべく,同義語のwalfischを用いたところ,鯨は魚じやないからWalでよろしいと言われた。そんなわけで,なごやかに始まった私の発表だったが,話が進むにつれて,ドイツ人の顔が険しくなってきた。ときおり彼は,なにやら質問をするのだが,会話などできない私は,暗記してきた文章に,しっかりしがみついていた。話がわき道にそれたら困るのである。質問に耳を貸さず,私はしやべり続けた。とうとう堪忍袋の緒が切れたドイツ人は,すごいけんまくでどなり始めた。何を怒っているのかもわからず,ぽかんとしている私に,同席していた助教授が「質問には答えるものだよ」とおっしやった。 ところで,怒りの原因は私の話の内容にもあったようである。発表の趣旨はこうである。「捕鯨反対を叫ぶ際,鯨が絶滅しかかっているという,統計的な論拠に基づくならばよろしい。しかし,日本人は残酷だ,鯨がかわいそうだと欧米人は言う。それでは,彼らの食肉の習憤はどうなるのか。日本人には元来,仏教の影響で,四つ足の獣を食べない慈悲深い考えがあったが,明治以降,西洋の影響でそれが崩れてしまった。彼らは牛や豚がかわいそうだとは思わないのか。かわいそうという理由で捕鯨に反対するなら,欧米人も牛や豚をたべるな。」 悪いことは重なるもので,くだんのドイツ人,日本に来る前は,捕鯨反対運動のメンバーだったという。ともあれ,ドイツ語で応戦することもできぬ哀れな私を前にして,怒涛のごとく吠えまくるドイツ人の声が,部屋中に響き渡る中,ふだん息がつまるほど活気のない会話の授業は,いつになく「盛況」のうちに終わったのであった。 その後,私は何度かドイツ人をつかまえては,同じ議論をふっかけてみたが,今だに決着がついたような印象を持てないでいる。あるオーストリア人との会話,「鯨をいじめてはいけないよ」「遊びで捕鯨しているわけじやない」「人間には獣を世話し,管理する義務があるんだ」「それじや,君たちが牛や豚を平気で殺して食べているのはどういうわけだ」「牛や豚は人間が食べるようにと,神から与えられたものだよ」「何を根拠にそんなことが言えるんだい」「僕は神を信じているからさ」ここで議論はプツン,神様に出てこられたら,もうおしまい。賛成も反対もない。そもそも議論にならないのである。日本を孤立無援にしている捕鯨問題も,根はこんなところにあるのかもしれない。