10.人間の生活と水

医療技術短期大学部 松本 昇

 人間の生活は水の存在を前提としている。生命現象の維持のみならず生物の誕生も水があってはじめて可能になったものである。今年の梅雨のように長雨,大雨が続き,水害まで発生すると,われわれ日本人は水の重要性を忘れて水はもう沢山だと不平を言う。考えてみれば,水に事欠かない日本人はなんと幸せなことか。旱魃が続き,大地は乾燥し,農作物が育たず大量の飢餓死を出しているアフリカの実状をみれば,水なくして生命現象はあり得ないことは容易に理解できよう。

 私達日本人は,最近とくに天然,自然の恩恵はすっかり忘れて,人間が考え出した科学技術を過信し,これのみで人類の繁栄が可能であるかのごとき錯覚をしている。それどころか,大自然の恵みである水や空気をどんどん汚染し,人類は自分達の住んでいる地球を汚し,生態系を破壊し,生命現象を営む上で不都合な環境を自ら作り出している。私が県立医科大学へ入学したのは昭和30年であるが,大学の東側を流れて宇部港に注ぐ真締川では子供が水遊びをし,夏には夜づりをする人のカンテラの列が並んだものである。下宿のおじさんに誘われてウナギ釣りに出かけたのはついこの前のことだったような気がするが,今の真締川に子供の姿はなく,釣りを楽しむ人も絶えて久しい。風物の一つとして四季に応じて人間の生活に潤いを添えていた川は.今では便利な暮らしを求める人間の生活廃棄物をつめ込んで海に運ぶパイプと化している。このような川の汚染は全国で進行し,しかも最近の水質汚染は工業廃水よりも生活廃水による所が大という。だから,地域の人が川を清掃して鯉を放流したとか,何十年ぶりかに川に鮭が戻ってきたことが心暖まるニュースとして話題になるのであろう。

 水文学(hydrology)の研究によると,地球上の水の総量は約l3億kGで,その凡そ97.5%は海水である。海を巨大な緩衝槽として,水は多彩な機能をはたしながら天と地の間を循環している。体重の約60%を占める人体の水も大自然で循環している水の一部分である。また,水は再生可能な資源(renewable sources)の一つである。再生可能であるという水の特性が,われわれに「水は汚しても,もう一度きれいにすることができる」という安易な考え方をもたらしたのかもしれない。水道水は一見清潔で安全な飲料水と思われるが,こと味に関しては落第である.田舎へ行って井戸水と飲み比べてみれば,両者のちがいば歴然としている。科学技術によって飲むことを可能にされた水道水は,大自然の作り出す地下水の足元にも及ばない。このことからも,水は再生可能な資源といえども,再生には自ずから限界があることが分かる。しかも,汚染の種類によっては,循環の途中で人類に強烈なしっぺ返しがくることは,水俣病やイタイイタイ病で痛感したことである。科学技術を過信して,水を汚染することは天に唾すると同じである。今の子供達は,飲み水は水道の蛇口が手品師のごとくいくらでも供給してくれ,生活廃水の水と水道水の水は全く別のものと思っており,地球上の水が循環し,fecal一oral routeが存在するなど夢にも思ってはいまい。水は人類のみならず生物の存在にとって不可欠な資源であることを教え,水の汚染が人類に大きな不幸をもたらすことを声を大にして警告するのは,水俣病を体験した我々の世代の義務であろう。