おもしろプロジェクト「春の小川ルネッサンス〜めだかの学校〜」
「めだかの学校」って?
教育学研究科 修士課程l年 日高 ゆうこ
「こっちにもメダカがいっぱいおる。なんか、めだかの学校を造ってからこっちの川にも魚が増えたような・・・・。もしかしたら前からおったんかもしれんがね、今までそんなの気にして見んかったから・・・・。」
これは、「春の小川I」の近くにお住まいの農家の方の言葉です。何気ない会話の一コマですが、とても意味深いものに思えてなりません。みなさんにも共感していただくために「春の小川ルネッサンス〜めだかの学校〜」のこれまでの取り組みをご説明いたしましょう。
●1996年12月『よし、やりましょう!!』
秋にプロジェクトの選考結果が発表されました。当選したのは全部でl0件。私たちはその一つに選ばれたわけです。何をするのかというと、「子どもの頃に体験した春の小川の原風景を次の世代の子どもたちに伝えていくまちづくり」です。大層な目的を掲げましたが、あまり難しく考えないでください。私たちの頭の中には・・・・・
は〜るのおがわはさらさらいくよ
岸のすみれやれんげの花に姿やさしく色うつくしく咲けよ咲けよ
とささやきながら
という風景が浮かんでいるだけです。「春、あたり一面ピンクのれんげが咲きほこり、中では子どもたちがキャッキャ言って遊び回る。)川のほうでは何やら魚をとっている様子。その近くではおじいさんやおばあさんが畑を耕していて・・・・」昔はどこでも見られたと思われるそんなのどかな風景が、あちこちに見られるといいなと思っているわけです。ここ平川という町は、それに近いものはあります。でも、田んぽの用水路はコンクリート化されていたり、下水道化されていたりするのが実状です。だからこそ「春の小川ルネッサンス〜めだかの学校〜!!」なのです。具体的には、ただの用水路に少し手を加えて子どもが遊べるような川にしたり、どこかの休耕田に春の小川のイメージの川を造ったりしようという計画でした。
これらのことをl2月末、ある先生の紹介もあって平川公民館長さんのところへ持ちかけたわけです。そこでは、館艮さんとたまたま居合わせた地元の方が相談に乗ってくださいました。さて、反応は・・・・・「それはいい!!ぜひ、やりましょう!!」ということで、「春の小川」は地域へと漕ぎ出しました。その後、館艮さんやその地元の方もいい場所はないものかと探してくださったり、こんな話があるのだがと人に話してくださったりしました。そして、今の「春の小川」のところが候補に挙がったわけです。
●1997年3月『やってみなければ分からないじやないですか。』
その土地の所有者、周辺にお住まいの方、自治会艮さん、それに始めから協力してくださっている公民館長さんや青少年育成協議会の会長さんほか、10人くらいを中心に話し合いが行なわれました。こんなふうにして地域の方と接するなんて初めてです。どんなふうに受け止められているのか、どんな反応が返ってくるのかと不安になり、ドキドキしながら話を切り出したのを思い出します。
しかし、その心配もどこへやら。逆に驚いたくらいです。みなさん口をそろえて「これはいい!!私たちも同感だ。ぜひやりましょう!!」と言われるのですから。少しくらい、「あんたたちは農業をしたこともないから苦労がわかってない」とか「そんなもの造ってどうするかね」などと言われるのを覚悟していた私たちは、急に肩の力が抜けて楽になりました。
途中、意見の食い違いが出て双方悩んだこともありましたが、そんなときも「やってみなければ分からないじやないですか。」という言葉のとおり、前に進んできました。その言葉が地域の方から出てきたときは、本当にうれしかったです。
●1997年4月27日『学生とこうやって汗を流すなんていいね!」
いよいよ休耕田に実際に小川を造ることになりました。駆けつけてくださったのは地元の方約20名と山大生約20名。耕運機で溝を掘った後、みんながスコップで土をのけたり、水漏れ防止のシートを埋め込んだりという作業を行ないました。川は、土地の都合上、今ある畦に沿って造られました。川Iの途中にも魚が棲みやすいように溜まりの部分を造りましたが、その時、「しがら」という昔ながらの方法を取り入れました。杭の問を細く割った竹で編んでいくやり方です。コンクリートと違って、竹の間に隙問ができるので、植物が生えたり生き物が棲んだりできるのです。ちなみに、その竹や杭などは全部地元の方が堤供してくださいました。春のあたたかな日差しの下、学生と地域の方とがいろいろ形でふれあいながら、春の小川を完成させました。長さ約50cm、幅約l m〜50cmといったところです。学生はいつになく生き生きとした表情を見せ、地域の方も、「ここにずっと住んではおるが、学生とこうやって汗を流したことなんてなかったからねえ。いやあ、よかったよかった。」と汗を拭きながら口々に言われたことが非常に印象的でした。子どもたちもそうですが、私たちもこうして地域の方やお年よりの方たちと関わることがありません。それがどんなに淋しいことか、逆に関わることがどんなにすばらしく大湖Jなことか、この時ほど実感したことはありません。
●1997年6月8日『こんなに子どもたちが生き生きしているなんて!!』
川づくりのあと、あまりに草が生えてこないので草を植えたり、めだかの隠れ家として石を入れたりしました。そうして川の環境を整える一方で、私たちはもう一つのことを進めていました。それは、田んぼと畑づくりです。
休耕田に小川を造りましたが、畦に沿って造ったため、まだまだ土地は余っています。土地の所有者はこの田んぽ全部を貸してくださったわけですから、ただの空き地にしておくのはもったいないです。それに、どうやったらこの春の小川がみなさんに親しみのあるものになるか、子どもたちはどんなところだったら行きたいと思うか・・・などと考えた結呆、空いているスペースに田んぼと畑をつくることにしました。もちろん、誰が入ってもいい、誰が植えてもいい、誰が取ってもいい、「みんなの田んぽと畑」です。かなりの広さがありますが、教育学部の授業(生活科)で地域の方と協力しながら、畑を耕したり、田んぽを作ったりしました。
そして、いよいよめだかの放流式ならびに開校式の日。山口市内や小郡、徳山の方からいただいたメダカたち約300匹を子どもたちの手で放流しました。子どもたちだけで30人は来ていたでしょうか、みんなでワイワイ言いながら放しました。早くも「ねえ、取ってもいい?」なんて聞いてくる子どももいました。
それから、教育学部の学生によるお田植え音頭の披露のあと、早速、お田植えです。学長も学生も子どもも大人も泥んこになって植えました。その時の子どものはしやぎようと言ったら・・・お母さんもお手上げの泥んこぶりでした。いえ、子どもだけではありません。この時ばかりは自分の肩書きを忘れて、みんな童心に返って遊びました。
書き切れなくなったのでこの度はここらで止めにして、あとは私たちの呼びかけるいろいろなふれあいの場に参加していただいた方が良くお分かりいただけるかと思います。春の小川やメダカを通して、私たちの目指すものは、ひとことで言うと「生き物同士のふれあい」です。みんなの手で作り上げた「めだかの学校」という一つのふれあいの場を多いに活用していく予定です。これから、稲刈り、芋掘り、餅つき等々、楽しいことが盛りだくさんです。特に私たち学生はたった4年問だけでもこの町に住んでいるのだから、もっとこの町の人と自然とふれあって、平川の魅力を体感できたらどんなに幸せだろうと思っています。そんな仲間をどれだけ増やすことができるか・・・それが私たちの大きな課題でしょうか。