良い青春がおくれる環境を残そう

経済学部 松吉 定男

 「自然の中の人間」という総合科目のマネジメントをしました。この授業が環境問題を取りあげたものかどうかは、ひとによって意見の分かれる所ではありましょうが、本紙からの寄稿要請がありましたことからみますと、このテーマは、確かに、環境問題を一つの切り口にしていたと考えられます。事実、講師の多くの方々が、積極的にこの問題を取り上げておられましたし、沢山の学生が、それに熱心に応えていたように見受けられました。もっとも、授業中にバルコニーに出て盛んに談笑したり、中にはどういう意味か女子学生に「ご苦労様」と下の広場から声を掛けられた男子学生もおり、また、授業を抜け出して終わる頃に帰って来る学生や、便所に行くと断ってそのまま帰って来ない等の様々な学生がおりました。マネジャーの環境問題は、残念ながらこの様な学生との冷めたバトルにありました。
 実の所、環境問題は、講義を聴いている学生にとっても、聴いていない学生と同様、「自分にとってあまり危機感がなく」、「日本は恵まれており、自然の中での実感がわかず」、「暑さ寒さについ愚痴が出る」といった程度ではなかろうかと思います。従って、「うるさい、私語するやつは出て行け」「先生なんとかして」という種類の環境問題以外は、「そうだったのか」、「知らなかった」、「驚いた」から認識が始まると言えましょう。そこで、この様な言葉を、学生の沢山のコメントの中から拾ってみました。もっとも、拾う側に偏りがあることを予めご了承下さい。
ブラジル国旗に「調和と進歩」の文字があるとは知らなかった。
日本での交通事故死者数のように、部族間抗争の死者の数が報道されているのか。
 資金不足で木の建築になり、音響がすばらしいものになったとは驚いた。
 環境問題が、法律で規制したり税を課したりする状況になっているとは知らなかった。
 自然の中で知恵をこらし自然と共生する文明が、自分の足元にあったとは、不思議な感じ。
 ペットが家畜だったとは驚いたが、犬を日本でも食べていたとは信じられない。
 気象資源や温度資源という言葉があるとは驚いた。
 痛みの研究があるなんて知らなかった。
 人の死は非連続的で、それが生死の判断を難しいものにしているとは知らなかった。
 人間が一瞬に使う資源も、資源再生に何億年もかかるのか。
 人間は生物的に不安定で、ルールによる抑圧の下で初めて生きていられることを知り驚いた。
 法律に、絶滅危機種を人類の為に保護すると書いてあることを知って、驚いた。授業は、勿論、上記の様な学生の関心から進められていたわけではありません。講師の動機付けは、これらとは別の所にあり、成功しています。それ故に学生達は、それぞれ講師の話の中から、自分なりに関心のある環境問題をピック・アップして考え、問題解決のための提案をもしています。そこにはたぶんに、講師の影響もあるように思えます。
 歴史も文化も違う国では価値観が異なるので、グローバル・スタンダードが必要。
 物の揃い方がアンバランスで、文明化に経済がついていってないのではないか。
 発声にも劇場の構造にもワイングラスにも、その要素のバランスを保つハモニーが必要。
 市や自治体など小規模単位で取り組むことにより、大抵の問題は解決出きるのではないか。
 環境や用途の違いで種類の異なる土器をつくる昔の人の環境への取り組みを、現代に生かす。 狭い家畜環境が種の維持に影響するのであれば、野生に近い環境で飼育し、ブランド化する。 世界各国で得意な自国生産物を相互補完し合うことで、食料問題は解決出来るのではないか。
 痛みのメカニズムを知り、治療法が発展し、社会福祉の向上につなげる。
cureだけでなくcareを、財政難でも手を抜いてほしくない。
 生産過剰が問題で、先進国の資源の無駄使いを減さないと。
 大人の世界でルールが機能していないから、社会化していない少年の犯罪が起こる。
 天敵駆除は食物連鎖を破壊する人間の傲慢さであり、生態系に関与しないようにしよう。
さらに、次のような疑問も投げかけられています。  
 言語や人種が違っても、そこに住む人はどうしてアイデンテテイを形成出来るのだろう。
金や銅が採れて貧しくないのに、どうして外国と金銭賠償による解決策を採るのだろうか。
 劇場のステージは、何故客席と半々なのか。
 ゴミに税金を掛けゴミ問題を解決出来ても、物を買わなくなって経済に影響が出ないか。
 一つの時期に同じ形の土器ばかり作るだろうか。クラシックブームだってあるだろうに。
家畜の野生化は、人口増加と相入れないのではないか。
 気候から食料予測が出きるとしても、将来の食料不足対策に直接結びつかないのでは。
 リハビリで脊髄から分泌される神経再生物質による再生速度はどのくらいか。
 脳死と判定された後で、脳が回復することは皆無だろうか。
 科学技術にたよる生活を保つために、さらに技術を発達させなければならない不安がある。
考え方の違いも、社会化出来ていないということになりはしないか。
 親子関係や配偶者関係から種の実在の証明が難しいとなれば、人類とは何だろう。
こうして、総合科目の授業から、沢山の学生が、色々な角度から環境問題を見直し、反省し、将来を見る目を養い、情緒豊かになっていきました。
学生にとって、安全、健康、教育が共通の三本柱である。
日本への好印象がうれしい。反対に私たちは、ニューギニアを知らなさすぎる。
小学校時代の音楽の先生は、教科書よりも進んだ指導をしていたんだ。
 企業の価値も、環境価値に重きを置くことで、上がるのではないか。
 現代は、未来にどんな遺跡を残すのだろうか。
 旬の食事をしよう。他の生命の犠牲の上の毎日の食事を、感謝して食べよう。
将来は、環境に携わる仕事につきたい。
生きたいと思うことで、治癒力が増大すると聞いて、勇気がわいてきた。
 人生での充実感が大切で、医療は、その手助けになってほしい。
 一人一人が、省エネに気をつけて、資源エネルギーを次世代に残そう。
小さい段階からコミュニケーションを発達させることを考える親になろう。
 生物種に起こる事は、同じ生物である人間にも起こる。
同じ授業を受けているにもかかわらず、正反対の意見もありました。
 環境問題は、税による経済的誘導が効果的。法規制が国民の意識を高める。
脳死を認める。家族は認めない。愛する人には認めたくない。管をつけてでも生きたい。
老人医療費をもっと使ってほしい。老人は無料なので、病院に来る必要のない者まで来る。ルールのおかげで自由もある。社会化は、他人を模倣し、個性を無くすので良くない。
絶滅危機種の保護は、命の平等さを欠く。弱い者を保護するのは、不平等とは思わない。
これ等は、環境問題以外の教育でデベートにも使えるテーマを含んでいます。しかし、次のコメントは、どの様に解釈すべきか、少々戸惑いますが、妙に興味を引きました。
レンコンと銅のグラム当たりの値段が同じことに驚いた。農業はショックを受けるだろう。 鉱物資源は安価なイメージであったが、野菜と同じくらいとは思わなかった。
学生は、野菜を高いと思っているのでしょうか、それとも安いと思っているのでしょうか。今回の総合科目を受け持ってみて、特に感慨深かったのは、山口大学が移転当時からでも、すでに二世代にわったっているという事です。
 「父が」、「母が」、山口大学生だった頃の平川への移転当時の写真をみて、現在とあまりにも違うので、不思議な気がした。
総合科目の開設が、ドラエモンのドアーを開いたようで、当時からの教官として、心が浮き立つような気持ちになりました。お父さんやお母さんが良い青春をこの大学で送られたからこそ、大切なご子息を預けられたように思います。今後もその様な良い環境が、この山口大学に残されますよう願っています。