ゴミ、環境、自然〜南アジアからのメッセージ
                         人文学部  山本 真弓

(1)はじめに
 「廃棄物処理に関する事柄」について何か書かなくてはいけない。そこで、常日頃耳にする〇〇について〇〇学部では〇〇ppm以下で安全基準値の〇〇ppmを下回って(上回って)いるからよい(悪い)、といった議論にはまったくついていけないものを感じている文科系人間として、廃棄物問題を人間生活の営みから考えてみたいと思う。

(2)インド―1988年
 今から10年あまり前、デリーの大学でインド人学生たちに交じって寮生活をしていたときのことだ。毎日だったか、一週間に何度かだったか、今ではもう記憶は定かではないけれども、掃除をする女性たちがわたしたちの寮を定期的に訪れてきていた。インド社会には掃除(箒で床を掃いて、雑巾がけをする)を職業とする人びとが、社会階層として、存在する。そのとき気が付いたのは、寮生のなかで一番たくさんゴミを出しているのがわたしだったことだ。しかも、使用済みのティッシュ・ペーパーなどはともかく(ティッシュ・ペーパーを使っているのはわたしだけだった)、質素な寮のなかでは日本から持参していた化粧品やお菓子の空箱などはゴミにするにはもったいない綺麗なものばかりだった。そこで、わたしが出すゴミは、あっという間に掃除をする女性たちに引き取られてなくなってしまった。
 冬休み。インド人の友人と夜行列車に乗って彼女の故郷を訪れた。30何時間かの列車の旅だったように思うが、印象的だったのは、走っても走っても風景が変わらなかったことだ。岩砂漠と呼ばれるインド亜大陸の、人気のない荒涼とした自然を何時間も眺めていると、人間(科学)の力で自然を征服できるかのような錯覚から思わず目が醒めたものだ。幾重にも階層化され、そのなかに神様も動物も植物も統合され、意味をもって存在しているようなインド社会を、何となく理解できたような気になったのだった。

(3)カトマンズ―1999年
 1999年8月のカトマンズで、毎日のように街中をタクシーで走り回っていると、3週間目についにダウンした。車の排気ガスに気管支をやられて、息苦しくなり、熱が出た。走行中の車の8割は10年以上の中古車だというこの街に、エアコン付きのタクシーなどという洒落たものはない。排気ガスから身を守れるのは、国家や国際機関を後ろ盾にこの国に滞在する自家用車族か、ネパール人の上流階層だけだ。ネパールはもちろん、車を生産していない。だから、車の輸入にはべらぼうに高い関税がかけられているし、だから、できるだけ関税の安い中古車をぼろぼろになっても使う。中古の外国産のオンボロ車から吐き出される排気(廃棄)ガスが街に充満し、カトマンズ盆地の空は薄汚く、汚れている。
 1996年、ヒマラヤで大量遭難事故が生じ、その惨事のなかを生還したアメリカ人ジャーナリストが本を書いた。彼はヒマラヤ登山の商業化をテーマにある雑誌社から派遣されていて、その惨事に遭遇したのだった。商業化されたヒマラヤ登山は、多額のガイド料と入山料を支払えば、誰でも8千メートル級の山々の頂上に到達できることをうたい文句にしている。そして、ヒマラヤに登ったことが社交界のステイタス・シンボルになった。著者は、ベース・キャンプに雇い入れたネパール人を使ってCDプレーヤーやビデオ・デッキを運びあげ(もちろん、それらを機能させるに足る自家発電機と大量の電池も一緒に)、彼らをカトマンズまで往復させてニューヨークやパリのファッション雑誌の最新号をとり寄せる顧客の「登山家」の様子を、ヒマラヤ登山の商業化の象徴として悪意を感じさせずに描いている。そんなこんなで、ヒマラヤには何十トンものゴミが廃棄されているらしい。おまけに、世界最高峰を征服しようとして失敗した人間たちの遺体が、雪のなかでいくつも固まっているという。著者はヒマラヤにもっとも近い地域を故郷とするあるシェルパのことばを紹介して、自らの著作を締め括っている。それは、父親も母親もヒマラヤ登山のガイドをして命を失ったひとりのシェルパの、ヒマラヤの神々を怖れる詩だ。

(4)ブータンの実験
 1996年8月に縁あってブータンを訪ずれた。ブータンは数々のユニークな政策を採っているが、そのなかでもとりわけ環境に対するブータン政府の姿勢は、近代化一辺倒の現代にあっては奇異でさえあった。山にも川にもいっさい人の手を入れない。だから、山崩れも川の氾濫も、あえて享受する。人家はすべて、伝統的なブータン様式で、コンクリートや新建材という名の素材で建てられた「粗悪な」建物はいっさい存在しない。人々もブータンの伝統的衣装を纏うという、その徹底した政策は、もちろん多くの矛盾や軋轢を出している。けれども、ブータン国内にあるヒマラヤ山脈の一部を決して外国人登山家に開放しようとしないブータン政府は、ネパールを反面教師にした、環境に対する独特の考え方をもっているのだ。南アジアの傑出した思想家マハトマ・ガンディーは、半世紀以上もまえに近代(西欧)文明を批判した。ブータン政府の要人たちは、現代の国際社会のなかでは近代化が不可避であることを認識しながらも、近代文明のネガティブな側面を十分すぎるくらい意識し、警戒している。GNPで測定できないライフ・スタイルをもつブータン人は一般に豊かで、ティンプーの街の空気は澄み切っていた。

(5)おわりに
 広大なインド亜大陸を横断した旅と、自分で経験したわけではないけれどもカトマンズの街から毎日ヒマラヤを眺めながら考えたことは、人間が自然をコントロールすることはできないということだった。そして、自然のなかにゴミ(廃棄物)はない。やがて自然に返るゴミをゴミとは呼ばないと思う。だから、ゴミの存在を認識し、それを何とかしなければならないという発想は、基本的に自然に逆らって自然に打ち勝つことを目指したものだろう。ブータンの自然観は、示唆に富んでいた。
 わたしは南アジアの国々で、ゴミとは何かについて考え、ゴミを出さないライフ・スタイルを目のあたりにし、そしてもっともゴミを出しているのが高度消費社会の落し子である自分自身であることを発見したのだった。