離任のあいさつ


                   元排水処理センター技官 前田康孝

 1991年4月より1999年3月までの8年間、排水処理センター技官として業務に携わってきました。さすがに8年も経ちますと着任した当時と比べて様々な面で変化がありました。中でも特に記憶に残っていることについて振り返ってみたいと思います。
まず、1992年に起きた特殊廃水(無機系廃液)処理の運転業務からです。前年まで運転業務を委託していた業者が委託処理業務を廃止したため、急遽センター主任と私の2人で運転業務を行うことになりました。通常のセンター業務に加えてこの業務が加わったことにより、特に忙しい年になりました。また、処理作業においても不慣れであるため重金属の除去がうまくいかず何度も同じ行程を繰り返したり、処理中に発生する独特の臭いにより喉の調子が悪くもなりました。なお、翌年からは新たに委託処理業務を行える業者が現れたため運転業務からは開放されました。
 次に1995年の特殊廃水(無機系廃液)処理施設の機器更新です。これまで使用していた「鉄共沈法」の処理機器が15年を経過して老朽化していたため、新たな機器に更新となりました。処理方法も「フェライト法」に切り替え、施設の名称も特殊廃水処理施設から無機系廃液処理施設へと改名されました。この新しい機器の導入により以前の機器と比べて一度に処理できる廃液量も有害物質の吸着能力も向上しました。ただし、「フェライト法」では水銀の処理が困難なため、「前処理」という水銀だけを吸着させる行程が必要となりました。このことより、各学部より搬入された廃液中に水銀混入の有無を特に注意する必要があり、すべての廃液の入ったポリタンクに対して水銀分析を行うことになりました。この水銀分析は現在も続いており、センター業務の中でかなりのウエートを占めています。
 最後に1996年の生活排水の公共下水道接続です。吉田地区付近での公共下水道整備が整ったため、それまで学内に設置していた「活性汚泥法」による生活排水処理施設が廃止され、直接排水を公共下水道へ流すこととなりました。このことより、生活排水に伴う業務が軽減され、また、老朽化による機器の故障が多くなっていた施設が不要になり、修理等に係る業務も無くなりました。
 以上のように排水処理センター業務の中で大半を占めていた生活排水処理及び無機系廃液処理が大きく変わった時期の業務に携わってきました。私なりに業務が改善されるよう努力はしてきましたが、逆に不都合が生じた面も多々あったと思います。
 また、廃液回収業務においては皆様のご協力により、特に問題もなく行うことができたことに感謝しております。
 私自身、これからも排水処理センター業務で培った知識を生かし、環境問題については考えていきたいと思います。