プラスチックのリサイクル コスト
山口大学 地域共同研究開発センター
「産業創造」講座 松 田 臣 平
環境問題がグローバルに人類の生存に影響を与えると考えられるようになってから、既に数十年になるであろう。日本でも1960年代の高度経済成長期には、水俣病、川崎ゼンソクなど多くの環境汚染を経験してきた。日本人一人一人は、皆自分は自然を愛すると信じているのにである。日本人の多くは仏教徒であり、あるいは仏教的な雰囲気・風土の中に住んでいる。 仏教では「山川草木悉皆仏性」(山川草木に皆命が在る)というごとく、人間も自然の一部と考えてきたから、当然周りの環境を慈しんできた。昔から資源を大切にする 「勿体無い」の精神で生活してきたのである。「モッタイナイ」の英語訳は難しいが、意味を取ればmake best use of(最大限に利用する)であろうか。
私は、1998年6月に山口大学に赴任し、98/後期に「エネルギー・環境技術と経済学」を大学院生と社会人に教えている。私の講義では、すべてのエネルギ・環境機器に値段をつけて授業している。環境問題を考える時、コスト (経済性) 抜きに物事を考えると、全く不合理な結論に到ることがあるからである。一番いい例が、プラスチックのリサイクルである。1998年に「容器包装リサイクル法」が施行されて、PETボトル、PE(ポリエチレン)、PP(ポリプロピレン)などのプラスチックは、マテリアルリサイクルされるべきであるとした。燃すのはサーマルリサイクルであるが、やむを得ない場合を除いて、避けるべきだとしたのである。 環境プラントの開発に長年携ってきた自分としては、マテリアルリサイクルは本当に正しいのかどうかを根本から考えてみたいと思った。まず、直感的に奇異に感ずるのは、廃プラスチックのリサイクルのコスト、即ち引き取り価格が1トンあたり5万円から8万円という事である。実際は、引き取ってもらうのにお金を払うのだからマイナス8万円ということになる。現在、原油1トンは1万円なのである。石油化学の原料となるナフサでも1トンが2万円以下なのである。廃プラスチックにトン当り8万円のコストを掛けて、1万円のものにリサイクルするのに意味があるのか? というのが根本的な疑問であり、環境に携っている人ならば、どうしても答えなければならないことである。きれいごとで 「プラスチックは貴重な材料だから、リサイクルしましょう」 では、答えになっていないのである。
石油は古代の植物が地熱と圧力で変成して生成したものであるが、19世紀後半から石油化学工業が興り、エネルギー源および化学原料として広く利用されるようになった。原油は精製により重油、ジェットオイル、軽油 (ディーゼル油)、灯油、ガソリン、ナフサ、LPGになるが、化学原料となるナフサ以外はすべて最終的には燃焼してしまう。石油全留分のうち約14%が化学原料として利用され、水素、アンモニア、メタノール、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリスチレン、PET(ポリエチレンテレフタレート)、ナイロン、塩ビ、テトロンなどの合成原料となる。プラスチックと呼ばれる有機高分子は、その透明性、伸展性、撥水性、強度などの優れた機能のため、食品の包装など日常生活に広く使われている。PEは、ナフサのクラッキング → エチレン → ポリエチレン → PEフィルムの順で作られるが、PE 1kg作るのに約3kgのナフサが必要である。このシリーズを値段でみると、1998年10月の日経新聞によれば、石油12円/kg、ナフサ14円/kg、エチレン57円/kg、ポリエチレン135円/kg、PEフィルム 130円/リットルである。ナフサからのエチレンの収率を1/3としてあるが、図で表示すると以下のようである。
ポリエチレンは135円/kgの価値を持っているが、PEフィルムは使用済みとなったとたんに、その価値はマイナスとなる。即ち、廃棄物業者に引き取ってもらうためには、1kg当り80円支払わねばならない。使用済みのPEから重油並みの燃料油を得ることは技術的に可能である。しかしそれには、きれいなPEが原料であっても20−50円のプロセス代必要なことは、化学プラントをやった人なら誰でも知っている。
PEのマテリアルリサイクルに20円乃至50円のプロセス代をかけるということは、それに相当するエネルギーを消費するということである。PEから12円/kgの重油を作ることは、意味がないどころか、環境に余分の負荷をかけたことになるのである。ポリエチレンには、まだ燃料として役に立つ余命が残っている。ポリエチレンは、石炭類似の化学式を持ち、発熱量が高いから、石炭並みに燃すことが出来る。それを使い切ることが、PEの有効利用なのである。PEを埋め立てたり、マテリアルリサイクルすることは「モッタイナイ」のである。
それでも「大切なポリマーは、リサイクルすべきである」と言い張る人には、私はこう言うことにしている「古い食パンが1枚あり、犬、鶏の餌にすることが出来る。しかし人間の食べる新しい食パンに戻そうとすると、新しい食パン2枚分のエネルギーが必要です。それでも貴方は、古いパンをリサイクルさせたいのですか?」。それでもなお「石油がもっと高くなれば、リサイクルするようになるでしょう」という人には、私は「57才の男性が川で溺れているとしましょう。貴方は彼を助けるために、20才の若者2人を犠牲にしますか?」と言うことにしています。