人類の営みがもたらしたもの
                              人文学部長 田中 晉


 身のまわりの小さな自然が確かに変容している。かつては蝉しぐれの降りしきった裏山もここ近年は心なしかうら淋しい、庭に来る蝶もトンボもめっきり減った、蛙の声を聞くことも稀になった、かつてはモグラが顔を出したこともある、きじ鳩が訪ねてくれたこともある、少年時代、糸米の奥で、ムササビと共存していたこともあった。今は我が家の前を流れる川に魚がいない、蛍の乱舞は絶えて久しい。大きな自然に目を転ずれば、気象が世界的に異常になった、サンゴ礁が傷ついている、長江の両岸に汚染ベルトが出来たという、バレンツ海底には原子力潜水艦が沈没している。環境は我々一人ひとりに関わる身近な問題である、地球全体が取り組むべき重要な課題であるに違いない。ところでこのたび、「山口大学環境保全」編集委員会より原稿の依頼をいただいた。「山口大学と環境保全」についての特集ということである。この有意義な企画に対し、残念ながら私には、与えられたテーマに沿って具体的に論じ得るだけの準備がない、手許には資料もない、山口大学の排水処理の実態について詳しく知っているわけでもない。いささか困った。山口大学は山紫水明の平川の里にある、これ以上の環境を望み得ようか。この上は致し方なし、「山口大学」の外に出て、「地球と環境保全」について考えてみたいと思う。やはり私には人文学の見地より、これまでの人類の営みについての所感を述べて、責めを塞がせていただくの外はなさそうである。
 人文主義はルネサンス以来の近世文明の標語であり、神中心の中世文化を脱し、人間性の開発を以て至上の命題とするヒューマニズムであった。それが近世より現代に至るまでの文明推進の原動力であった。ところが、ヒューマニズムはその一歩を進めると人間中心の人本主義となる。現代の科学文明、機械文明はその所産である。もとより神中心の中世文化から人間中心の近世文化へ展開したことには大きな意義があり、特に二十世紀、自然科学の発達は驚異的な成果を収め、それは確かに人類に幸福をもたらした。科学文明とはこんなにもすばらしいものかと寝ても覚めてもその利便さと快適さに驚嘆するばかりである。しかし、一方においては、科学文明の過度の発達により自然環境の破壊が結果した。地球温暖化、酸性雨、オゾン層の破壊、広がる砂漠化、熱帯雨林の消滅、さらには生殖異常など、今や地球の生態系は崩壊の危機に直面している。人文主義が人間中心主義となった、その勢いの赴くところ、人類は自らの母胎である自然を破壊する道を進んで来たのである。この二十世紀に人類の営みのもたらしたものは何であったのか。

 自然は沈黙した。うす気味悪い。鳥たちはどこへ行ってしまったのか。みなが不思議に 思った。...春が来たが、沈黙の春だった。いつもだったら、いろんな鳥の鳴き声が 響く。だが今は物音一つしない。野原、森、沼地ーみな黙りこくっている。

 レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)はこのような「明日のための寓話」に始まっている。長い冬ごもりのあと、春を待つ心には、かそかなときめきがある。その再生の春、再び巡り来るはずの春は姿を消した。何という肌寒い風景であろうか。「すべては、人間が自ら招いた禍であった」とカーソンは語っている。本書は、その発明者がノーベル賞まで受賞したDDTの危険性に警鐘を発することに始まるが、その内容は生命、生態系、地球環境へと亘り、現代の科学文明が自然を人間中心に打ち替えてしまったことへの批判であって、今世紀における重大な問題提起であった。しかるに我々は、カーソンの警鐘にも拘らず環境汚染を繰り返し、今や万物生命の存続そのものが危ぶまれることになった。 カーソンの主張の根底には、人間の生命は地球上の全ての生命体と互いに支え合っている、という生命共同体の思想があるが、これを宇宙論的に考察したものが、1972年にジェームズ・ラブロックの提唱した「ガイア仮説」である。この理論は、地球全体を一個の生命システム、一つの有機体として捉えたものであるが、この名前は、同じ村に、後のノーベル賞作家の友人、ウィリアム・ゴールディングが住んでいて、即座に名付けたという。ガイアとはギリシャ神話の大地の女神に由来するが、ガイアから天空ウラノスが生まれ、さらに海や山が生まれたのであるからまことに適切な命名であった。「地球はひとつの巨大な生命体であり、人類はほかのすべての生物と共にその存在の一部であって、共に地球によって生かされている」、この考えは単なる仮説の域を超えて、ものごとの真理を洞察したものと言えよう。母なる大地ガイアは人間が自然の恵みを大切に扱うときには報いてくれるが、濫用したときはこれに返報をする。人間は地球を痛め過ぎた、ガイアは我々に罰を与えているのである。
 地球の生物、それを包む大気、海洋、土壌の一切がひとつの生命体であるという概念、自然・人間の一体感は、しかし、すでに詩歌に詠われるところであった。このことは、ロマン派を代表する詩人ワーズワスの『序曲』にいう、「全てのものにわたしはひとつの生命を見た、そしてそれを、よろこびとした」の詩行に凝縮されている。この感慨は、詩人が静かに流れるワイ川上流の風景を想起して、「そのときには調和の力とよろこびの深い力で、目はなごめられ、われらは万物の生命を洞察する」と詠んだ「ティンタン僧院」の詩に受け継がれる。詩人は言う、

  わたしは或る存在を感じるようになったのだ
  あまねく深く浸み透ってあるもの、日ごとの落日の光にも
  円かなる大海原にも、生き生きとそよぐ大気にも
  澄みわたる青空にも、はた、人の心の内にも
  万象を貫いて流れるある運動を、ある霊気を。

「ひとつの生命」、「万物の生命」の一句は森羅万象を貫く理法に触れた詩人の汎神論的心情の表明であるが、この水脈をさらに辿れば、そこにはルネサンス期の詩人エドマンド・スペンサーがいる。スペンサーは『妖精の女王』の中の一挿話「アドーニスの園」において、万物生成の根源を探ねて、渾沌たる実体にまで溯り、そこに生命の淵源を求めた。ガイアは「渾沌」から生まれた最初の神であった。
 最近、文学研究に「エコクリティシズム」なる語が用いられ始めた。すなわち文学批評にエコロジーの視点を導入したもので、「緑の文学批評」とも呼ばれる。人間の営みを扱う文学こそ生態学と最も密接な関係をもつはずであり、文学に関わる仕事は、文化と自然の対立を解消して人間と自然の調和に向かうべきだとの主張がその背景にある。環境に対する不安が文学と文学批評の方法を結びつけたといってよい。十八世紀後半からの産業革命以降、急速な工業化、近代化に対する不安や反発が詩人をして都会を離れて自然に向かわせた。そこに彼等が見たものは、どこまでも人間を包容してくれる自然の心であった。自然との幸福な共生によろこびを見出したロマン派詩人に現代の環境危機を重ねて見るとき、彼等の詩に限り無き示唆を読み取ることができよう。ロマン派の自然観の現代における意味はそこにある。
 二十世紀はやがて終わろうとしているが、それはただ世紀の交替だけではない。実はルネサンス以来の近世文化の終焉を意味しているのではないか。現在の危機は、自然より生まれた人間がおのが母胎を征服したという錯覚が招いたものである。この危機を救うには人間本来の在り方に立ち返る以外にあるまい。昔から言われるように人間は天地の化育に参ずるものであり、天文・地文に対する人文の意義はこの所以を解明するにある。機械文明の極まるところ、人間は人為と技術で一切を処理しようとするが、人間は所詮、自然の懐から離れ得るものではない。人間の営みには、いつまでも自然に即するものがなくてはならない。自然の法則を知り、それに随順する方法を見つけたとき、はじめて自然と人間の共生があり得る。科学の結果は、これを正しく用いれば、天地の化育に副うものとして人間の幸福につながるが、濫用すれば人類そのものの危機を招く。我々は今や傲れる人本主義を捨て、古来からの天・地・人の思想に反省する必要があろう。
 今年八月に、「2000地球環境米米フォーラム」が東京で開かれた。「自然と共に生きる、人々と共に生きる」をテーマに稲作文化の大切さを論じたものと報じられている。基調講演は山口大学農学部、丸本卓哉教授によるものであった。新聞紙上でその要旨を拝読するに、「微生物が土を生かす」ことを説かれたその内容に、「なるほど」と自然の理の深きことを改めてうなずかされた。人は土と共に生まれ、人間の営みは土の上になされている。文化を意味する英語の' culture'が元来「耕作」を意味するごとく、文化は土に根ざしている。その土を生みかえすことにこそ、カーソンの求めた「別の道」への展望が開かれるのではあるまいか。