環境ホルモンと大学
医療技術短期大学部 飯野 英親
内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)という言葉が注目され始めて,既に5年くらい経過したと思う.その間,ゴミ焼却場からのダイオキシン排出規制,母乳のダイオキシン汚染の問題,精子減少による男性不妊の問題,食品や食器に含まれる環境ホルモンの問題,水質汚染の問題など,環境ホルモンが抱える多くの問題が取り上げられてきた.現在までのところ環境ホルモンとして70種類以上の化学物質がリストされており,それらの中には,DDT
をはじめとする有機塩素系の農薬や代表的な環境汚染物質であるPCB,ダイオキシン類などが含まれる.界面活性剤の分解物であるアルキルフェノール類,プラスティックに添加されているフタル酸エステル
やノニルフェノール,ポリカーボネイト系プラスティックの分解物のビスフェノールAにもエストロゲン作用が認められている.これらは,プラスティック容器を電子レンジで加熱したときに溶出することが指摘されており,今後も研究が進むにつれて内分泌撹乱物質はさらに増えることが予想される.
エストロゲンには天然と人工のものがあり,天然のものは香辛料などに含まれるが人工のものと違って排出率が高いようである.やはり問題は化学物質中に含まれる人工のエストロゲン様物質である.DDT
,PCB,ダイオキシン類は毒性化学物質として有名であるが,エストロゲン様物質を含め,その機序が解っていない化学物質は恐怖である.
難分解性,蓄積性の有機塩素化合物に代表される環境ホルモンの主な摂取源は魚である.また,ダイオキシン類はゴミ焼却が発生源の大きな割合を占める.魚食が多く,世界のゴミ焼却場の7割が集中するといわれる日本に暮らす私達にとって,ホルモン様化学物質の健康に対する影響は大いに気になる問題である.また,暴露量の点からいえば,母乳を飲んでいる乳児が一番リスクが高い.母乳は,難分解性の有機塩素化合物の一番の排泄ルートであり,ダイオキシンを例にとると,乳児は体重あたり成人の30倍程度の摂取をしているという.期間は短いが,脳などはまだ発達中であり,感受性が高いと考えられることからその影響が懸念されている.
近年になって,環境ホルモンの情報量は一気に増加しており,社会的関心も高まっているが,環境ホルモン(環境問題)の難しさは,なかなかはっきりとした因果関係・結論が出せない点であろう.問題の多くは,危険とは言いきれないし,かといって安全だとも断言できないグレーゾーンでの議論となりやすい.まして,人体に対する影響といった生物学的特性がファクターとして加わると,いっそう難解になる.そして,大学における環境問題を考えるとき,大学が環境汚染の加害者となる場合の発想よりも,もし大学が環境汚染物を排出しているのなら,ある意味,その汚染物にかかわる人は被汚染者なのだから,被害者の視点も大切であろうし,かつ,問題を身近に考えやすい.
私自身の日常の実験では,エタノール,フェノール,クロロフォルム,パラフィン,キシレン,ホルムアミド,メタノールなど多くの溶媒,染色系のエチジウムブロマイド,DAPI(4',6-Diamidino-2-phenylindole
dihydrochloride),PI(Propidium iodide),ギムザ,FITC,ローダミン等,酵素系のトリプシン,ペプシン等,界面活性剤のTriton-X等,その他数多くの試薬・溶液類を使用し,独自の臭気を浴びて,時折,直接手に化学物質を触れる.自宅に戻ってからは,仕事として化学物質に触れない人々と同じ生活.そこで,実験系の研究者が,環境ホルモンのリスクグループではないかと思うのは,私だけだろうか(思っても実験を止めるわけではないが).また,本学の廃水処理センターの水質検査(本年5月2日)結果で,小串地区にpH5.3が検出され,山大の排出基準には抵触しているという.環境ホルモンも,異常pHも身近な問題である.
そこで,誰に,また,どの組織にというわけではないが,個人的に以下のようなことを,将来的に,我が国の大学全体として明らかにして欲しいとひそかに希望している.
第一は,「大学環境内のホルモン様化学物質のスクリーニング手法及び暴露量の推定に関する研究」で,大学環境中のホルモン様化学物質への暴露の全体像を把握するために,未知の環境ホルモン様化学物質を検索するためのスクリーニング手法に関する検討及びリスク評価のための高感度分析法を用いたヒトに対する暴露量の推定である.これまでエストロゲン作用を中心に検索されてきたが,アンドロジェン(男性ホルモン)様作用を持つ物質についても検索,そのリスク評価を行って欲しい(そういったことが技術的に可能かどうかも知らないが・・・).第二は「大学環境内の環境ホルモン様化学物質の定量的リスク評価,またはその推定」である.
30年以上前から環境ホルモンの危険性の指摘があり(レイチェル・カーソン著:沈黙の春),WHOも人工的化学物質が,人間のホルモン系に作用してしまう危険性を指摘している.私たち人体の生理機能が,多くのケミカルな反応によって維持されている(ヒトがケミカルマシンである)ことを考えると,環境ホルモン問題の重大性が叫ばれ,その対策を講じるのは自然な展開だろう.
とりわけ,環境ホルモン問題に一番センシティブなのは企業である.消費者が環境問題に関心を持ち,メディアの情報量が急激に増加したため,食器で環境ホルモンが含まれると報道された途端に売り上げが激減するという.数年前に,カップめんの容器から環境ホルモンが溶出している事が報じられ,日本即席食品工業協会が即座に新聞一面を使って「カップめんの容器は,環境ホルモンを出しません」と反論したことは記憶に新しい.身の回りの日用品,研ぐ手間を省く利便性だけでなく,研ぎ汁を下水に流すことによる環境汚染の防止を前面に宣伝する無洗米,ハイブリッド燃料の自動車など,生産業はエコロジカルな発想を組み入れて商品にしていることがわかる.また,東京都の臨海副都心にある,コンベンション・ホールの東京国際展示場(東京ビッグサイト)を運営する東京国際見本市協会も,国際規格の環境ISOを取得し,見本市を主催する団体では国内初という.見本市協会の環境問題に対する関心の高さがうかがえる.大学に勤める私たちも,今後は多くの会議の中で,いつも環境問題に配慮した発想が問われるのであろう.