2.「排水処理センターの将来構想(案)」に代えて

                     排水処理センター長  林  謙次郎

 本誌創刊号に“もし為すべき何物かが残れるならば.物事をも為したりとは思わずして”との警句を引用して.排水処理センター長就任の当初からその任に耐え難いことを予表してきた。就任二期目の後半頃から施設部の排水処理センターヘの協力が積極的となり,排水処理センターの運営が著しく容易になってきた。とはいえ,「本学の教育,研究,医療活動に伴い発生する排水に基づく汚染を防止して,教職員.学生及び周辺地域住民の生活環境の保全を図るとともに,排水の処理方法に関する研究及び環境保全に関する基礎教育に協力する……」具体的な行動を如何様に確立して行くべきかという問題に対して徒らに供手傍観するばかりである。そして.このような状況を改善・克服する見込みも立たないままに間もなく定年を迎えようとしている者が排水処理センターの「将来構想(案)」を提示することはまことに愚かしいことと言わざるを得ない。しかし.編輯者の求めにいささかでも応答すべく,「将来構想(案)」ではなく,日頃悩み.思っていることの一端を述べさせて頂くことにする。

1.時は興せず

 いまの世は,貿易黒字,円高,貿易摩擦,輸出不振,失業率増加.税制など「富」に係肋る事柄に専ら強い関心山が寄せられており,自然の環境に思いを沈潜させるような状況にない。剰さえ,校舎,校庭に落ちているゴミを拾おうとする児童の率が世界の他の国々のそれに比べてl桁も低い世界最低率を示し.また,拾わないとの積極的な意志表明をする児童数ほ30%近くで世界最高率を示すというような教育環境が既に定若しているという。“この世の君”としてMammonが支配する今の世の中にあって「無駄金」を使って実験廃液の全てを無害化処理しようというのはおおよそ時代の流れに逆らうことといわざるを得ない。その上,大学における実質上の佼費配分額が年毎に減少している。そのような状況にもかかわらず.教官各位がその実験廃液を貯留し,排水処理センターに搬入しているさまは大学らしい良識の具現と見ることができる。しかし.現状を悉さに見るとき十全とは言い難い点が多々見うけられる。例えば.吉田地区における実験排水(水質汚濁防止法に接触しない筈の実験室からの排出水)に「排水基準を定める総理府令」の排水基準を超える酸や塩基の流入柚が認められたり,似たようなことが水銀について吉田地区や常盤池区において観測されたりする。また,特殊排水は3系統に峻別して貯留・搬入することになっているが.これを厳格に守られているという訳にはいかない。これらは「廃液処理の手びき」に明記されているが学内関係規則に詳細に明記されていないことに原因しているのかも知れない。さらに,環境保全に対する教官並びに学生の関iしの昂揚あるいは基礎教育に対する排水処理センターの努力・協力の欠除にも一因があろう。何はともあれ,去る5月に来学された山東大学学術交流代表団の周立升先生が秋芳洞を見学されて詠まれた七言絶句の結句「多謝天公画自然」をわれらの心に深く留めることが出来るようでありたいと願わずにはおれない。

2.右往左往する排水処理センター

 排水処理センター規則によれば,排水処理センター(以下センター)にはセンター長,センター主任及びその他必要な職員を置くことになっているが,現在専任者としてセンター主任l名が確保されているに過ぎない。センター発足以前より他大学並みに技官l名を概算要求してきたというが何故か当大学のみ未だ実現していない。l昨年文部省では認められたと聞くが,以後そのようなことが文部省においてさえ承認されたという話は聞いていない。                            このような中で主任を如何なる業務に専念させるべきに苦慮してきた。助手の将来昇任.留学.栄転等一を配慮する必要がある。そのためには現在ある学会の評価に耐え得る業績をあげてもらわなければならない。また一方には,学内定員を流用している故センター運営費を削減できる業務に就かすべきとの声があることも知っている。次に.現状ではセンターとしての知識・技術の継承が困難であるということである。現在の主任ほ二代目であり,着任して問もなくl年半になろうとしている。専攻してきたコースの違いもあってはじめのl年は化学分析の基礎から修得し直してもらった。もし2〜4年で主任が転出するというようなことが続けばセンター業務は事実上麻埠しよう。さらに.いま痛切に感じていることは.排水処理を含めた“環境問題”についての知識,能力をセンター長は具有すべきであるということである。これは何にもまして重要な事柄である。当時,環境汚染対策委員会の委員長やセンター構想立案に係わっていたということもあって.多少の義務感を覚えてその職を引受け,二期目は画辞したが朔った日付で受諾.三期目はやや惰性的に引受けて現在に至っている。何等の卓見もなしに.徒らに環境問題に関心を寄せているというだけで無責任にこのポストを引受けたことに深い悔悟の思いを以て自省している。

3.そしていまセンターでは

 外見的にある程度の責任を示そうと,環境計量±や公害防止主任管理者.水質関係第一種公害防止管理者の資格保持者を擁してセンターを運営している。これらの資格さえあれば大学の特殊廃水を十全に処理できるという訳ではない。         l974年,大学は「特定施設を持つ特定事業場」に指定され,1976年には下水道に排水を放流する大学も規制対象となり.さらに1979年には附属病院もその対象に含まれてきた。これら法規制に対して大学は必ずしも満足すべき対応ができる状態になかった。l979年に国立大学廃液処理施設連絡会(現在は大学等廃棄物処理施設協議会)が発足したのも.所有する施設で法規制に適合する成果を上げるための技術交流,

情報交換を狙いとしたものである。                       少量,多種類の汚染物質が不定期に排出する大学の廃液,次々に指摘される新たな有害物質,センターとしてこれらに即応できる状況にない。そこでいま最も初歩的な事柄から取組んでいくことにした。現有施設の「鉄共沈法」の基礎的再検討である。H.A.Laitinenも指摘しているように,沈殿の関与する分析化学的現象に関する用語は極めて“confuse”しているのである。水酸化第二鉄沈殿といってもその実体はわからず,共沈といっても各人各様の受けとめ方をしている。用いられている言葉は上滑りをしていてその内容は空虚なのである。そこで鉄が沈殿していく過程やその沈殿生成に伴う溶液中のイオンの除去に関する基礎的研究に取組もうというのである。Don Quixote気取りの面もあるが理学部分析化学講座と協同のテーマとして努力することにした。日常の業務を抱えての研究であり,その歩みは遅々としている。 さて,これらの仕事を進めるにしてもセンター独自の実験室等もなければ設備,備品もない。廃液処理施設の作業場と生活排水処理監視室及び原子吸光光度計さえあれば十分だとする事務局側の蒙を拓くのは容易でなかったが,l987年度には「教育・研究の一施設」としての建物(測0〆)を施設整備費概算要求の対象に盛られるようになった。センターの第一歩がやっと踏み出されたといえよう。備品については他大学と比較して云々しても始まらないのでひたすら学内の協力一不要になった測定機器などの供用換など一を待ち望んでいるところである。

4.葦の髄から

 山口大学が実験廃液処理施設を設置しようとしていた頃に一人の先輩勤、親切な助言としてか椰愉でか分らないが,「施設は市民に日立つ処に建てる必要がある。施設が存在することに意義があるのであって運転はする必要がない。大学の廃液で環境汚染など起る筈がない。」と熱っぼく言計れたことがある。いまは諸手をあげてこの発言に賛意を表明する大学人は居ないと思うが,日々の行為においては必ずしもこの思いを完全には払拭しきれないのではあるまいか。                 荀子や孟子あるいは性三品の諸説をふり回してみても益はないだろうし,“学内規則を守ればセンターは不要”との説にも気安く賛両する訳にはいかない。このような渦中にあって“山口大学は学内から一剖Jの汚水を排水しない”ためにセンターを設立した故に.センターは,大学構成員全員にこの趣旨を徹底させ,廃液の無害化処理法の完成と排出水の常時監視に専念しなければならない筈である。しかし.いまのセンターの実力ではこの大任を果し得る状態にない。センターの向上を願って思いつくことを少し述べさせて頂く。                        4・1 排出者の協カ:特殊排水の取扱いについて,排出者は実験廃液を貯留し,時を定めてセンターに運搬しさえすれば事足りると理解しておられる方が多いように思われる。それだけでは困るのである。取扱う物質.用いる薬語こついての知識は実験者が最も豊富な筈であり,又十分な知識なしに実験するのは危険である。従って.排出者は廃液処理方法に適した分別,貯留を厳正に履行すると共に,規則に定められていない有害物質や変異原性物質については然るべき処理を行うべきである。面倒なことは全てセンターに任すというのでは困る。排出者の面倒臭さの故にセンターが味わう苦痛に対しての共感.連帯・協力を排出者に望みたいのである。例えば.各学部から排出する特殊廃水や実験排水に対してそれぞれの学部が監視・責任を負うて頂き度いと願うのである。廃棄有機溶剤靴cついては,法によって違反溶剤依託者が一剖Jの責任を負うことに定められているので,依託容器に排出者名を明記することを怠りさえしなければよいことになる。一方,センターはその力点を廃液処理法の改善.新たに知らされる有害物質や変異原性物質への対応策を確立することに置くべきではなかろうか。                               4・2 センターの充実:施設の設置についてはさきに述べたが,更に配慮すべきは人員の充実とその運営費である。上記の業務を進めるだけでも1講座分程度の研究者・経費の確保が望まれる。技官については事務局の協力・奮起に期待するしかないが,研究者については一→つの夢がある。名誉教授の先生方の協力を仰ぐことである。現行学則でそのようなことが可能レかどうか知らないが,かくしやくたる先生方が身近におられるのを知るとき,それら先生方のご援助を願う思いは切である。これを実りあるものにするため,「環境科学研究機構」を併せて発足させ,退職者と現役教官との協力によって.一見泥臭いと思われるような分野の研究をも推進し,また,それを可能にする経済的基盤を確立しようというのである。            廃棄物の後始末など何れは大学でも避けて通ることの出来ない問題であると思うのである。                                4・3 再び“受益者”とは:本誌創刊号にも受益者について言及した記事があったが,学内で費用負担の検討の中で気安く“受益者”の言葉が出てくるので再度このことを取り上げてみたい。                            l972年OECDの“環境政策の国際経済的側面に関するガイディング・プリンシプルについての理事会勧告”の中に「汚染者負担の原則」(poIIuter pays principIe,PPP)というのがある。環境汚染者が汚染防止に伴う費用の責任を負うべきであるというのである。“汚染”についての共通理解が得られ.汚染者を特定できるときには容易に受容できる勧告のように思える。しかし,事はそれ程単純にはいかないのである。チェルノブイリの原発の例を引くまでもなく,身近に起った“水俣”“カネミ油症”等PPPの適用が如何に難かしいかをわれわれは知っている。   次に,未規制であった物質によって九田川が汚染し,そのため地域の人々に被害が生じたという仮想例を考えてみる。公害対策基本法によれば“無過失責任”が間われることになっている。その物質が古田地区の数部局においてのみ使用されておれば被害者に対する賠償責任ゲ大学にあることは当然である。しかし,学内においてPPPを適用することは容易でないように思う。PPPや無過失責任原則についての学内の共通理解が得られておらず,さらに使用者が十分な支弁能力が無かった場合,受益者とは一体誰のことを指すのだろうか。受益者は不利益者の考慮なしには理解できないだろう。                                     閑話休題。現状を述べておくので.このことについて各位の思いを深めておいて頂き度い。89年度には予算配分方式を見直すことになっており,センター運営委員会としても「センター負担方式案」を捉示出来るようにしたいと願っている。

(l)生活排水費:外部依託費及ぴ光熱水費と配分額との差額のl/3を古田地区の部自定貝数比で,2/3を使用水道比で負担。実験排水モニター室の滞留槽中の底質(重金属汚染のため法規制対象)処理費用は生活排水費と同等に負担。常時監視装置の部品の交換費用も同等に取扱う。                    (2)特殊廃水:外部依託費と配分額との差額をセンターに搬入した廃液容量比で負担。外部依托費には廃水,廃棄有機溶剤及び廃水からのスラッジを含む。廃水処理費は処理液の体積に基づいて算定する。搬入廃液の濃度が高いときは水で一定値以下に希釈して処理液とする。費用負担方式には廃液濃度を考慮していない。

 センター運営費の詳細については別記するが,このことに学内では余り関心が寄せられていない現在,センター長は,機器購入等を含めた支出の面でかなり白由に采配を振えるように思える。目的が手段を正当化したかつてのわが国を,そして現在のアメリカの一部に見られる状況を思い,見るとき,このようなことの行使を甚く恐れるのである。