ハングルができない50オヤジの韓国一人旅
         −日韓の歴史と冬ソナをたずねて−


いきさつ
 私の韓国行きの目的は、日韓の歴史を探ることと、冬ソナのロケ地巡りという、尋常では相容れないものです。以前に1995年でしたか、朝鮮総督府が解体されるというニュースを週刊誌で見ました。そのときにも行きたいと思いましたが、勇気がありませんでした。そしてその後の冬ソナブームです。結局、冬ソナブームで韓国行きを決意したわけですが、もともと日韓の歴史には深い興味がありました。
 実は、昨年(2005)3月にソウルを、そして今年(2006)3月に釜山を、ともに家族で訪れています。ソウルとその近郊では、中央高校とナミソム、釜山近郊では一人で外島に行ってきました。しかし、歴史と冬ソナだけでは、買い物と食事を楽しみとする家族の賛同を得られません。それで結局、以前も別行動となることが多かったのです。そこで今回も家内を誘ったのですが断られ、結局一人旅となりました。私にはたとえハングルが通じなくても日本語でごり押しするような度胸はないので心配でしたが、冬ソナの思いはつのるばかりで見切り発車の旅でした。


航空券とホテルの予約
 ハングルができないのと、冬ソナだけならツアーに入った方がいいと思い、最初はツアー会社を当たりました。しかしツアーは二人以上で、しかも買い物目当ての客を対象としています。そこで一人部屋となると1万8千円増しとか、買い物抜きとなると6000円増しとか、最終的に2泊3日で9万くらいに加算され、それなら航空券とホテルを別個に買った方が安くなります。そこで冬ソナをオプションで頼もうとしたのですが、ツアーとセットになっているケースが多いことに気づきました。さらに、すでに冬ソナ人気は下火で、携行人数(最低二人)に達するかどうかわからないとの返答も多かったのです。最初は龍平(ヨンピョン)のドラゴンバレーをならっていたのですが、さすがにスキー場は冬場のみみたいで、定期バスが運行されているかどうか定かでありません(江南から出ているとの情報もあります) 。
 航空券は、前回のソウル旅と同じでインターネットのアルキカタドットコムで頼みました。8月の23日発で、朝10:30分の福岡空港発、そして2日後の25日18:10にソウル発です。格安券もあるのですが、それは時間帯が悪いことが多いのです。この日程では、ピークほどには高くありませんが32800円でした。空港使用料とか油代とかの雑費を入れて40000円くらい払い込みました。頼んだ後にメールが来て、最寄りの銀行から振り込めばいいわけです。券は送ってきませんで、空港で直接受け取りになります。2時間前の8:30までに福岡空港の国際ターミナルに着きました。博多から地下鉄で福岡空港まで行き、国際ターミナル行きの無料バスに乗ります。アルキカタドットコムのカウンターで券を受け取り、搭乗手続きをしました。あいにく満席で、窓際の席は非常口のところしかないと言われました。いわゆる、いざというときにお手伝いする席です。よく考えるとデジカメでは離陸着陸時には写真は撮れず、結局意味がありませんでした。早めに行って窓際と思っていましたのに。
 またホテルですが、最初はソウルプラザホテルでミニョンさんのようにウィスキーグラスを傾けるという青写真でしたが、家内から安いところに泊まれとの至上命令を受け、同じくアルキカタドットコムのホテル情報で探しました。前のソウルでは、日本大使館近くのオンドル部屋を楽天トラベルで頼みました。家族5人で5000ウォンあたりと格安でしたが、日本語のできる方がその場におられず、用事があるたびにその人に電話で通訳を頼んでいましたので、今回はできるだけ日本語のできるスタッフのいるホテルを探しました。BIZというホテルが、日本語スタッフがおり、また空港からのリムジンバスも近くに着き、さらに江南にも便利というので頼みました。二泊で12200ウォンという安さです。


福岡国際空港発インチョン国際空港着
 1年半ぶりにインチョン国際空港が見えてきました。ここは冬ソナでもロケ地になっていますが、写真は前回に撮っているので、省略してすぐにバスに乗ることにしました。
            
      
その前に換金することを思い立ちました。新韓銀行がありました。3万円出したところ、確か238000ウォンくらいでした。結構高くなっています。BIZのホームページに書かれているように、605−1番のソウル明洞(ミョンドン)行きバスに乗ります。これは高速バスで8000ウォンでした。近くの切符売り場で“ミョンドンカジ”と言って券を買います。ちなみに帰りのソウル駅横から発車した赤色リムジンバスは13000ウォンでした。こちらは優等高速バスなので5割り増しなのだそうです(変わりないように思いますけど)。日本語の放送もありますので、ロイヤルホテル前で降りる意思表示をしました。ホームページでは、そこから徒歩700メートルとありましたが、どの方向かわからず、大きな聖堂の方に誤って向かってしまいました。それは後で明洞聖堂らしいとわかりましたが。結局は乙支路3街(Eujiro3ga)から乙支路4街(Eujiro4ga)方向の地下鉄沿いに少し歩いて路地に入っていくと、HOTEL BIZという表示があります。ちょっぴりごみごみしていて、わかりにくいのですが、ホームページから地図をコピーしていって助かりました。
 こぢまりしていますが、とても感じのいいホテルで、日本語ができる人が部屋まで案内して説明してくれました。テレビをつけると早速NHKが入り、心遣いが感じられました。


マルシアンと良才の市民の森へ
 チェックインを済ませて、まず東大入口のマルシアン(Comaco)に地下鉄で向かうことにしました。地下鉄は切符売り場の表示は日本人にはわかりにくいと思います。ただ停車したときに見える駅名は漢字で大きく書かれてありますので間違うことはないでしょう。(ただ町は想像以上にハングルだらけです。漢字はありません。われわれにはハングルは記号にしか見えません。漢字があれば、日中韓と共有できるのにと残念です。)
        マルシアンの場所は「冬の恋歌を探して韓国紀行」という本に場所が詳しく書いてありましたので、それに従って地下鉄の3号線で東大入口の5番出口に出て、なだらかな坂を上っていき、新羅ホテルの免税店を越えてさらに行くと、右手にやや急勾配に上がる道があります。その途中にComacoが見えました。あのミニョンさんが理事として働いていたマルシアンです。階段を上がって中に入ってみようとしましたが、鍵がかかっています。踊り場には寄付の箱がありました。また道の向かいには冬ソナの大きな看板がかかっています。記念写真を撮っている人もいましたから、まだやってくる観光客もいるんですね。

 それから次に良才(ヤンジェ)の森に向かうことにしました。これは穴場のロケ地です。3号線で江南の方向に向かいます。券を買うのに、ヨンジェと言ったら怪訝な顔をされて、900ウォンの券をくれましたが、実は1000ウォン必要で、100ウォン精算してはじめて出ることができました。正確には、Yanjiaeです。その途中で急に車両に入ってきて、商売をし始める人に出会いました。ニューヨークでは急にバンジョーを弾き出してお金をせびる人もいましたが。
               
良才に降りて出ると緑の立て看板がありました。そこに市民の森(citizen's forest)1.9キロと矢印の表示があります。それに従ってひたすら歩いていきました。横をバスが通るのですが、乗り方がわからないので、歩くしかありません。橋を渡ってと本には書いてありましたが、橋までかなりありました。ときどき右折してくる車があるので注意してください。橋を渡ると右側に広がっているのが市民の森です。非常に静かな森で、ロケ地でなくとも、歩いているだけで癒されます。
      

 ここでは、19話でユジンがチュンサンにあの不可能の家の模型を渡すシーンが印象に残っています。その近くに確か売店があったと記憶していますが、道を歩いている限りはそれらしきものは見えません。テニスコートの横を通って、左回りにぐるーっと歩いていきました。“二人ふり返らないで別れよう”と言ってお互いに背を向けた道は確か高速道路沿いだったと記憶していますが、その道が見つかりません。

 裏まで歩いていくと、なにかの記念館が見えてきて、そこに立て看板があり、中程に冬ソナのロケ地があることががわかりました。売店と、さらに行くと遊具と噴水があります。売店のおじさんにたずねると、イスを交互に移動させて、確かにペヨンジュンとユジンが交互にここに座って撮影したんだとジェスチャー交えて語ってくれます。“ここかー”それと別れた道をどうしても探したいと思い、足が棒になるくらいに歩きましたが、あの場所が見つかりません。結局、諦めて帰りました。途中で、二人のお母さんが、私になにか話しかけてきましたが、“ネガ、イルボネ”と言うと怪訝な顔をされて、避けていきました。


 ハングルができないおっさんが、こんな所をうろつくこと自体おかしいのでしょう。
次には大林アパートにも行きたかったのですが、住んでいるところに、のこのこと出かけるのはちょっと気が引けるのと、あまりにミーハー的なので止めました(ミーハーだから来ているのですが)。当初は、夜に江南の宮(クン)とかに行く計画がありましたが、一人で飲食店に入るのにはどうも抵抗があります。


夕暮れのソウル市庁
 急に、また光化門に行ってみたくなって、3号線を景福宮まで戻って、いったん出て、また山の見える方向に歩いていきました。途中で城壁が出てきたので、左に上っていくと、なにか重々しくなり、地図で確認すると青瓦台へ向かう道でした。逆に降りていくと光化門が見えました。正門はすでに閉まっており、警官が張っています。(横の門から入れるらしいのですが。)
 そこから世宗路を下って、ソウル市庁とラディソン・ソウル・プラザの方に向かいました。市庁には韓国旗が飾られてイルミネーションになっています。ちょっと趣味が悪いのですが。それから明洞方向に向かい、乙支路の方向に向かいました。結局ホテルに着いたのは、9時くらいでした。
    
ソウルプラザホテルとチョースンホテルの間は、例の14話「二度目の事故」のロケ地ですが、ロケ当時にはなかったスターバックスができています。滞在中にそのスターバックスに行ってみたくなりました。
  
 ホテルに帰って、まだ夕食を取ってなかったので、近くに韓流の食事ができる所はないかと日本語スタッフに尋ねました。BIZでは、昼間は女性の方、夜は男性の方で、男性の方も日本語はばっちりです。7年日本に住んでいたと言われます。近くの食堂を教えてもらいました。客は誰もいません。おばさんが一人片付けをしていたようで、キムチゲと告げようと思いましたが、うまく伝わりません。一人かと指で指して尋ねます。ならいいからそこに座れ“アンジャン”とか聞こえました。明らかに困った顔をされています。すると勝手にミニ韓定食が出てきました。私にとっては却ってありがたいことです。1本指を出したので、メニューの1番目になったのかもしれません。これは韓定食かと尋ねたところ、(尋ねたつもり)が通じず、たまたま居合わせた若い人に振って、その方と英語で話して解決しました。その定食が4000ウォン、ビールが3500ウォンでしょうか。併せて75000ウォンを払ったように記憶しています。ビールはOBビールを頼みましたが、どのビールもいけます。私は HITEというビールが好きですが、CASEもいけます。ただ日本のビールは高いのです。
 再びホテルに戻り、ここはインターネットができる部屋があると聞いていたので、デジタルウォークマンのUSB充電をお願いしました。その部屋では万一無くなってはいけないので、フロントのパソコンで充電してくれました。どこまでも親切でした。それと改めて日本語ができる方がおられるといいですね。


春川の冬ソナロケ地とダッカルビ
 次の日、朝食ではただのパンとコーヒーのサービスを利用しました。飲食店ではハングルができないので、これは助かります。8:00以降はお粥サービスもあるとのこと。
 次に、最近日本のテレビでも紹介されてましたが、ソウルの真ん中に憩いの場ができたと噂の清渓川に向かいました。よくこんなものが大都会のど真ん中にできたものだと思います。韓国の国力と心意気を感じました。経済状況もまんざらではないのでしょう。その流れに沿ってまた市庁方面に向かい、それから景福宮に向かいました。

 景福宮は1995年まで朝鮮総督府があった場所です。その跡がどこかに残されていると思いきや、日本帝国主義の悪逆さを喧伝するだけで、その跡はありません。券とともに日本語案内テープを借りようとしましたが、身分証明書を出すようにと言われました。なぜなんだろうと思いつつ、パスポートを出しましたが、テープと交換にそれを預かると言います。話の流れでで引っ込められませんでした。しかし、パスポートのことが気が気ではなく、30分で終わらせました。綺麗な所を見逃し、後で後悔しましたけど。次に鐘路から地下鉄で清涼里駅に向かいました。京春線で春川に向かうためです。ちょっと遅い出発です。


英語で通じる清涼里駅
 着いて10:35分発に間に合いそうなので、“チュンチョンカジ、イルインブン(ハナジャンが正しいかも)”と頼むと、「え」という顔をします。そこからはなぜか英語の会話となり、standingしかないと言います。「えっ二時間立ち席」とぎょっとしました。All the way to Chunchon?と聞き直しましたが、そうだと言います。次の便にするかと聞きます。次の便は11:35分発で1:30着です。でも立ちっぱなしは耐えきれず、次の便にしました。車内は学生で満杯でした。ムグンファ号は英語、日本語、中国語のアナウンスもあり便利です。それに汽車賃はなんと5000ウォンです。安い。

必要最低ハングル語としのぎ方
 汽車を待つ間、おでんを食べることにしました。好きなものを指さして、“イゴ”と言って1本指、また違うものを指して“イゴ”で、1本指を立てます。これを繰り返して買いました。ただそれぞれ“イゴ、ハナ”と指さしていった方がいいかもしれません。レストランなら金額が表示されますが、ここはレジらしきものがありません。お金の額は聞き取れないので、該当しそうな札を数枚示しますと、そこから必要な額だけ取っていってくれます。屋台みたいなところではそうします。これは危なそうですが、これでぼられた経験はありません。信頼がおけそうなところは大丈夫だと思います。ただ用心のために、あまり大きなお金は出さない方がいいでしょう。

 また春川行きのはずが、南春川行きしかありません。春川駅からタクシーで春川明洞に向かおうとしていただけに計画変更です。南春川の観光案内の方は日本語ができて、また大変親切で、観光案内書をくれて、明洞とか春川市役所に行く方向を教えてくれました。春川駅に行きたいと告げると今はもうないと言われたのには、ちょっとショックでした。2009年に新装予定だと言います。明洞まで歩くと40分かかるというのでタクシーを使うことにしました。その案内の方に、“チュンチョンシチョン”と運転手に伝えなさいと言われた通りに伝えたつもりが、運転手から「えっ」と返事が返ってきてショックを受けました。ハングルは発音が難しいですね。結局、明洞(ミョンドン)は通じて、そこまでタクシーで2300ウォンです。明洞を降りると、すぐにあのクリスマスツリーの明洞通りがあります。結構おしゃれです。またその向こうにあ    
のロータリーがあるではありませんか。あの建物、そしてAsicsのマークがありました。チュンサンが2話で、雪の日、最初の交通事故に遭う、あのテレビで見たあの場所です。まずクリスマスツリーの明洞通りを歩きました。冬のソナタの垂れ幕がいっぱいかかっていました。観光客と若い人たちで通りはあふれています。
  
 いただいた日本語の観光案内見ましたが、あまりよくわかりません。私の持ってきたコピーの方が参考になりました。まずロータリーのウリ銀行横から春川高校をめざして降ります。デジタルウォークマンで冬ソナソングを聞きながら、50のいいおっさんがすっかりあの気分に浸っていました。あの二人が越えた壁がありました。内部ロケはソウルの中央高校ですが、壁だけこの春川高校です。その前にちゃっかりみ  
やげもの屋がありました。それから昭陽路をめざします。ユジンが自宅から出てくるシーンのロケ地です。それが驚きで、案内の立て看がしっかりあるではないですか。それもあと○○mと親切に書かれてあります。それをたどっていけば、確かにあの場面にたどり着きました。それを見届けると、次は船着き場近くのバスを降りた場所を探します。帽子を忘れたので、真夏の太陽がじりじりと照りつけます。橋が見えたところで左に横断歩道を渡り、湖が見えてきました。その場所を見つけました。でもあの木の柵はありません。道端は若干拡張されていて、鉄製の柵に変わっていました。そこにもみやげもの屋がちゃっかりありました。その前のロケ地と思われるところだけ木の柵が残っていました。

 そこから湖沿いを歩いていくと、戦勝記念公園みたいなものがあって、左に道路を渡って春川駅をめざします。ずっと歩くと春川駅の裏が見えました。まだ壊されていないではないですか。なにかほっとしました。でもそこにいたる道がありません。ずっと道路沿いを歩いていつかは横に抜ける道が出るだろうと思いましたが、ないのです。結局見つかったときには、また800m戻らなければいけませんでした。壁につたわって歩きます。真夏に冬ソナのロケ地を求めて、こんなつらい歩きをする人もいないでしょう。たどり着くと、工事テープで囲ってありました。駅の中は空洞です。春川駅の文字だけは残っていたのがせめてもの救いです。言われた通りに、周りは殺風景です。前は米軍基地の壁です。そう、この壁こそ、2話のキャンプの後、サンヒョクがかんしゃくを起こして帰ろうとしたあの壁です。私は行き倒れになるのではとくらくらしてしまいました。幸い歩いたところにガソリンスタンドがあり、そこに停まっていたタクシーを拾って明洞に戻りました。そのタクシーの方は2300ウォンのところ2000ウォンだけ取って後はいらないと言います。模範タクシー以外はぼられることもあると聞きましたが、その逆でした。次は、あのダッカルビ横町の酔っぱらいにからまれた場所を探します。地図を参考に探しましたが、ツリー通りを越えて出店みたいなところを左に入りました。写真とちょっと違う感じですが、この場面に近い路地を見つけました。盛んにデジカメに収めようとしましたが、おばさんが途中で出てきて奇妙な顔をされました。

 夕刻の4時ですが、まともに昼飯も食べてないので、あのダッカルビを食べることにしました。勧誘をする店もありましたが、なるべくお客が入っていて、勧誘しないところを選びました。ダッカルビを1人分と言います。“イルインブン”です。もう指1本で示したらいいですね。後は通じないので、なされるがままです。いつ食べたらいいのかわかりません。まごまごしていると、餅をまず食べろと言われたような。それから適当な時期に食べ始めました。どうやって食べたらいいのかわかりませんが、野菜に入れてニンニクを入れたり、みそをつけたりして適当に食べました。ビールがはらわたに染みます。ビールはメクチュと言いますが、ビアーで通じます。これがあの有名なダッカルビ。計画通り遂行です。払ったお金は、ビールと含めて11500ウォンでした。
 その後、春川駅を探した後遺症で歩けませんでした。18:25分発の汽車ですから、1時間くらい前に南春川駅にタクシーで戻りました。春川への旅はものすごく満足でした。ロケ地の立て看板が物語るように、なにより春川市の観光にかける意気込みがすごいのです。ただ中島(チュンド)に渡れなかったのが悔やまれます。もう少し早くから始動した方がいいですね。


必要最小ハングル語としのぎ方
 ハングルは話せなくても、一人は一本指、そして“ダッカルビ”と、言えばいいです。ときどきご飯が必要かと“ピップ”と聞かれますので、はい(ネー)あるいは、いらない(アニャ)と言えばいいでしょう。あとは数です。万(マン)千(チョン)、そして数え方は1(イル)、2(イ)、3(サム)くらい覚えておけばいいでしょう。水はムルですが、勝手に出してくれたり、セルフサービスのことが多いですから尋ねられることはないでしょう。店員を呼ぶときには、ヨギヨー、水くださいはムルジュセヨと言えばいいと書いてありますが、私は使ったことがありません。またトイレはどこですかは、これは“ファンジャンシム、オディエヨ”です。これはソウルタワーに行ったときに、タワーは閉まっていて、トイレ探しに苦しんだときのことです。
 南春川駅の売店で、お茶を買ったときです。聞き取れませんから、金額ちょうどに払うことは不可能です。そこで多めの札で払ったつもりでした。2000ウォン払うといつまでもおつりを返してくれません。私も、あちらも怪訝な顔をしています。そのとき、イーチョンと言われたように聞こえました。つまりジャストだったのです。日本のお茶はここでは高いのです。ここでイル、イー、サムくらいは覚えておこうと思いました。これ以上覚えてもいざというときには通用しないと思います。また一つ二つ三つは、ハナ、トゥル、セーです。写真を撮るときによく聞きます。ペットボトルにも金額が貼り付けてありました。


ムグンファ号で清涼里に向かいましたが、前の席の男女がいちゃついています。韓国では、日本より若者が公衆の面前でいちゃつく姿が目につきます。わざと見せつけているような気もしましたが。隣の若い女性もそれを見せつけられていました。これは民族性の違いでしょう
か。
  
 清涼里に20:15に着くと、ついでに東大門(トムデモン)に行ってみようと思い立ち、地下鉄1番線で向かいました。そこで市場を見て恵化(ヘファ)に歩いていくという計画です。恵化はあのユジンがチュンサンらしき人を見かけて探した場所ですね。出ると、確かに東大門がありましたが、方向がわかりません。デパートの特設上ではステージが拡げられていて人だかりです。陸上競技場と野球場の方へ歩いていくと、店が並んでいました。これが有名な朝までやっている市場なのでしょう。ただ衣服中心なので、試し着ができそうになく、買いませんでした。いまだ方向がわかりません。そこで、元に戻って清渓川の当たりで明かりを頼りに地図を見て迷っていると、おばさんが心配そうな顔をして話しかけてきました。私は、迷っている私を心配したのだなと思い、“ウルジロサンガ オディエヨ”と聞くと、何か盛んに話しかけてきます。最後に、100ウォン硬貨を出して、“オプソ、オプソ”と聞きます。結局、それはせびられていると気づきました。ソウルでは、高級車とともにバタンコ的なバイクもヘルメットなしで走っています。また立派なみなりのビジネスマンの一方で、道ばたで物乞いをする人も見かけます。この対照が韓国の置かれている現況だと感じました。ただ、みんな元気です。私がこれほど韓国に魅せられるのも、この元気さに触れたいがためです。車がかすめて通りそうなところにも屋台を出す元気さです。ロサンゼルスでもニューヨークでもダウンダウンで店を出しているのは、コーリアンです。ただ元気さの一方で、横断信号が青になっていないのに歩き出す人もいます。バスが横をかすめて通るような感じで、まさにおそれ知らず。さらに急に車が道に入り込んできたりすることもありますので、注意が必要です。

 また一方で親切さも忘れられません。家族で行ったときも、日本語を話せる人から何回も道を教えてもらいました。また今回は私一人旅なので、教えてもらえることはないと思っていましたが、ハングルですが、たびたび道を教えてあげようと言われました。(聞き取れませんが、雰囲気からはそう解釈できました。)その親切さにも触れたいのです。確かに日本語を話せる方なら、日本に近づきたいという、ちょっとしたステイタス誇りで話しかけるのかも知れません(誤解があればごめんなさい)。しかしそれだけではなく、やはり素直な親切さを感じざるを得ません。東京で、困っている外国人に対して日本人がそれほど親切にするでしょうか。そういう私も、通りがかりの外国の方にこちらから親切を買って出たことはありません。話しかけてほしいなとは思いますけど。
 結局迷ってしまい、10時近くになったので、恵化行きは諦め、地下鉄で鐘路まで戻り、3号線に乗り換えて乙支路3街にたどりつきました。ここの地下鉄は便利です。足がまた棒になりました。


戦争記念館から考える日韓の歴史
 最後の日は、冬ソナから離れて日韓の歴史を考えてみたいと思いました。前回には、伊藤博文を暗殺した安重根義士記念館に行っているので、今回は西大門の独立門のところにある独立公園刑務所記念館に行きたいと思いました。3号線の独立門を下車します。出口を出るとすぐに独立門があります。その後方にある公園をずっと行くと刑務所記念館が見えます。1987年まで実際の刑務所として使われていたらしいのです。最後の処刑は、北朝鮮からのスパイと聞きました。入館料は1500ウォンです。

 ボランティアの方が、日本語で解説しましょうかと言われたので、お願いしました。この監獄は網走刑務所と形が同じとのことです。日本の占領に抵抗したどんな人がここに投獄されていたかを熱心に説明されます。どのような拷問とか、どのような独房に閉じこめられたかとか、またそれを体験するコーナーもあります。座ると座席が少し落ちる仕組みの絞首刑の実体験コーナーも、座ると「15年の刑に処す」と宣告されるコーナーもあります。企画としてはこれはちょっと激しすぎると感じましたが。それだけ、当時はこんな状況であったことを知って欲しいという願いからなんでしょう。その説明が1時間くらい続きました。確かにいままでの日本人があまりに近代史を知らなさすぎるという反省はあります。私は、最近では在日コリアンの歴史とか、さらには列車の中で鄭銀淑著「韓国の「昭和」を歩く」とかも読みました。その中で、景福宮の歴史とか、それにまつわる李王朝の歴史とかの知識も一応身につけたつもりです。

 やや強制的な説明でしたので、違和感を感じる日本の方もおられるかと思います。それは安重根の記念館でも同じでした。その映画ではかなり感情的な説得もありますし、国家崇拝的な要素も含まれています。もっと冷静な説明の方が、リアル感を出すと思うのですが、それは侵略した側のエゴイズムでしょうか。一方で、山口県光市大和町にある伊藤博文の記念館も訪れたことがありますが、その映画では逆に安重根に暗殺されたという事実を語って映像は終わります。それについての何のコメントも付け加えられていません。その対照が侵略された側とした側との違いと思います。東京から来られた二つの家族連れがありました。買い物だけでは申し訳なく、やはり文化と歴史もと言うので来られたと聞きました。日本からの修学旅行の生徒もいました。内容の是非はともかく、一度は訪れてほしい場所であります。

 次に、朝鮮戦争の展示のある戦争記念館に行きました。3号線で忠武路まで行き、そこで4号線に乗り換え、三角地まで行きます。それを出て再び地下道に入って12番出口から出ると、大きな建物が見えてきます。それが陸軍の建物を改築した戦争記念館です。圧巻は、その周囲にある実際に朝鮮戦争で使われた戦闘機、戦車などです。そこで子どもたちが遊んで、また家族がカメラで収めているのを見ると、本当にいいのかなと思ってしまいました。ここでは内部もいくらでも写真を撮ってもいいとのことでした。入館料は、3000ウォンです。ここでも日本語が多少できる人がいます。順路をたどっていけば見学できると言われます。この記念館は朝鮮戦争の流れがわかりやすく解説されてあり、またビデオを順路でみていくと朝鮮戦争の時間的な流れがよくわかります。ビデオの音声は日本語を選択できます。東西双方の攻防がわかりますが、冷戦に巻き込まれただけにその悲劇度が大きいことがわかります。確かに国を弱体化させた責任は日帝なのですが、その後の東西の冷戦の責任も重いと思います。400万人という途方もない数の死者を出したという事実に、その悲劇性を見ます。ただアメリカ、ソ連、中国という東西の責任については触れられていないのも不思議です。日本の悪逆さを喧伝しているだけに終わらず、冷戦の責任も追及すべきと思いました。その不可思議さを解消できぬまま施設を後にしました。武器の写真は一切撮りませんでした。ここでは韓国を南韓、北朝鮮を北韓と記しています。

 西大門の刑務所では原則的には写真は禁止されていましたが、撮っているのも禁止されていなかったようです。ここは撮り放題です。一方で、春に行った釜山の近代歴史館では撮っていると係員が即座にやってきて止められました。いったい何を基準に写真撮影の可否が決められるのでしょうか。写真撮影の可否が、その内容を知らしめる意図と関係しているのでしょう。
 インチョン空港のフライトは夕刻の18:10ですから、市内を15:00くらいには出なければいけません。ソウルを後にする前に、例のプラザホテル近くのチョースンホテルのスターバックスでコーヒーを飲もうと決意しました。ソウル駅まで地下鉄4号線で帰って、また1号線に乗ってソウル市庁まで行きました。スターバックスの位置は確かミ  
ニョンさんが旅行バックを引いて空港に向かう途中の位置です。向こうに見える小公洋服店という看板が位置の証です。コーヒーを飲みながら、ユジンさんがあちらから走ってくる場面を想像しました。つまらない趣味と言われそうですが、ファンにとっては至福の時間です。その裏には、八角堂があるのですが、宿泊客しか入れないと思いきや、後で見学自由とわかり、行かなかったのを悔やみました。徳寿宮まで    
見る時間がなく、地下鉄でソウル駅まで帰りました。新しいソウル駅ができていて、東京駅に似たソウル駅は旧ソウル駅となっています。リムジンバスの券を買おうとし、観光案内を訪れましたが、直接バスに乗って券は買えるといいます。あいにく雲行きが怪しくなって雷雨に見舞われました。
                    
今回の一人旅では、計画の70〜80%の達成度で、欲を言えば、ちょっと足を伸ばして、ソウルなら大林アパート、江南ならレストランとかバー、そして春川なら中島まで行きたかったなと思いました。足の体力不足でした。春川駅を探すのにちょっと労力を使いすぎたみたいです。でも帰国しても恋しくてたまらない、ますます韓国に惚れてしまった3日間でした。


家族でソウルへ(2005.3.29-30)
 はじめての韓国です。それも家族で、私は冬ソナと日韓の歴史探訪、そして家族は買い物と韓国料理です。それぞれ折衷案を出して、それぞれ7割方楽しみました。
インチョン国際空港では、美しき日々でのシーンが印象的な場所や、また冬ソナでユジンがミニョンさんを探した場面など、興味深い場所がたくさんありました。

 みんなで行ったのが仁寺洞と中央高校でした。日本大使館近くの宿からまずは仁寺洞で昼に食事して買い物をしました。仁寺洞にはお茶を飲ませてくれる静かな院があります。抜ける直前のみやげもの屋でヨン様、ジュウ姫の携帯ホルダーを買いました。日本語が話せる店員も心得たもので、売り方上手です。“ヨン様よりももっといい俳優が韓国にはいます”と、なにか日本人よりも優位に立つことをほのめかす店員さんもおられました。けして皮肉には聞こえませんで、韓国人の対抗心と心意気が感じられます。それを抜けて、タプコル公園を通った後、北に向かいました。公園ではインスタントコーヒーを飲みました。釣り銭を取るのを忘れて、取ろうとするとすでに次のおじさんがお金を入れていて、恥をかきました。
 中央高校では、学校がある日なので、夕刻がねらい目と友人から情報を仕入れていました。地下道を通ると、なんかものものしい雰囲気です。兵士らしき人が地下道の要所に立っています。


そう言えばその日は、宿を探すときにもデモに遭遇しました。後でテレビで見ると抗日的なデモでした。独島問題が起きたのが数ヶ月前ですから、そうでしょう。李舜臣の銅像とか、世宗文化会館当たりにもデモ隊がいました。地下道をくぐり抜けると山方向には細い路地が続いています。こんな細い路地をオート三輪が人の肩ををかすめるように通っていきます。高校生の生徒が下校していますし、私たちはそれに逆らうように上っています。途中でトッポッギを売っているお店をたくさん見かけました。高校生も立ち寄って食べています。昔の高校の下校風景を思い出しました。上がり終えたところは中央高校です。あのゴリラ先生が腕立て伏せをさせたのはこのあたりか、チュンサンがタバコを吸ったのはどの電信柱かとか、興味は尽きません。サンヒョクも、チェリンも通った正門があります。正門の横には土産物屋ができていましたが。学校には守衛もいないみたいですし、入れるみたいです。赤煉瓦作りのしっかりした校舎でした。右手の坂を上がっていくと、見覚えのある風景です。水飲み場もありました。あの放送室もあります。そして裏に回りました。あのバレーボールをした運動場もあります。
     
しかしゴミ焼却場がありません。私は、ここぞとばかりバシャバシャとシャッターを切り、それを見た息子が、冬ソナ狂いのおばさんみたいなことをしないでくれと、懇願しました。しかし「せっかくここまで来たのにここで撮らいでおれるか。」と。校舎の中にも入りたかったですが、さすがにそれは品がないです。
 中央高校を出て右手の坂道を上がると、あのユジンの家があります。喫茶店みたいになっており、中に入るとコーヒーが飲めるそうです。私は行きたいと主張しましたが、他の家族の拒絶に会い、結局行けずじまいでした。冬ソナの看板はしっかりかかっています。
帰りに買ったトッポギがおいしかったですね。途中の大学とも公園ともわからぬところで食べました。それから地下鉄でソウル市庁に向かい、あのソウルプラザホテルに向かいます。市庁はこれは植民地時代に作ったものをそのまま使用しているものです。それから南大門を見ながら歩いていると、賑やかな市場があります。これが南大門です。本当に明るく賑やかですね。“カンペキナニセモノアルヨ”と声を掛けてきます。
私はヨン様カップを12ドルにねぎって買いました。またヨン様靴下は1000ウォンであります。ここは活気があります。また途中に貨幣博物館とか、植民地時代の建物もありました。
 宿近くに帰り、サラリーマンがたくさん寄っている焼き肉屋に入りました。メニューには日本語もありませんし、日本語も通じません。ただもってきた日韓の翻訳本を見せると興味を示してくれました。肉は豚で、タレで食べると思いきや、塩です。しかしその味は忘れられません。豚の焼き肉は塩がうまい。それと野菜を食べていて少なくなると、次から次へと盛られます。日本のようなせちがらさがありません。経済は日本の方が上と思いますが、このおおらかさがまたいいですね。

 オンドル部屋も貴重な体験ですが、暖かいと汗をかくし、朝起きたらなにか体がだるいような。でも外は寒いので暖かくてよく眠れます。
 次の日は、朝に粥を食べに行きました。結構高かったです。それからナミソムです。ナミソムに行くには、清涼里駅まで行かなくてはいけません。ムグンファ号に乗って加平(カピョン)まで行きますが、1時間30分くらいかかります。料金は大人3500ウォンです。3月ですが、山肌にはまだ緑がありません。茶色のくすんだ色をしています。加平駅を降りるとそこからナミソムの渡し船乗り場までタクシーが必要です。私どもは5人ですから、運転手を入れると定員オーバーです。でもいいから乗れと言います。20分くらいかかりましたが、これも5000ウォンくらいだったと思います。ナミソムへの渡し船は、5000ウォンでした。ナミソムに渡って、まっすぐな順路をずっと歩いていくと、恋歌カフェがあり、さらに分かれている道があり、右に折れるとあのメタセコイヤの並木道があります。人がいっぱいです。ユジンが上った大木を探しましたがありません。それと反対方向に行くと、船着き場がありました。ここでチュンサンのお葬式をしたのですが、映像で見たのとはちょっと違っているような気がしました。それから船着き場方向に戻っていくと例のファーストキスをした雪だるまのロケ地があります。しっかり印が付いています。後で娘がどうしても自転車を乗りたいというので、借りました。楽しそうに走っています。そういえばナミソムといえば自転車ですね。それとダチョウがいるには驚きました。また美術の展示をしている館もありました。冬ソナ後の島も、いろいろな工夫をしているのでしょう。


 恋歌カフェには、ヨン様とかのサインがたくさん飾られています。そこでキムチのお弁当を食べました。中にはキムチとご飯、そして目玉焼きが入っていたと思います。作りたては熱いので、軍手で弁当を振って中身をまぜこぜにして食べます。これがここの名物なんだそうです。
 帰りの汽車を待つ間、ウォンが足りなくなったので、銀行で換金しようと思い、できそうな銀行を探しました。やっと見つけて、その女性の方が日本語が多少できるので助かりました。でもここに来た理由が冬ソナだと言うと、あまりいい顔をされませんでした。日本人が冬ソナのためだけに来るというのが気にくわないのかもしれません。そこが韓国の日本への要求と、日本人の韓国への興味の食い違いなんでしょう。でも興味をもつことから何事もはじまります。ソウルに帰ってから、ソウル市庁に行きました。


 次の日は、まずは恵化(ヘファ)に行きました。本当は夜行きたかったのですが、子ども連れなので。歩くとかなりありまして、タクシーを使わず歩いたので、ぶーぶー批判を浴びました。冬ソナ好きの人なら苦にならないと思いますけど。でもやはり恵化にいくなら夜ですね。ユジンがミニョンさんを待ったマロニエ公園もありました。そして次にはソウルタワーに行ってきました。これは行き方がわからないので、タクシーで行きました。でもあいにく工事中で展望台には登れません。でもあの美しき日々でソナが姉ヨンジェ(チェ・ジュウ)を待っていて新年を迎えたあの場所があります。それからロープウエーで降りました。そこから安重根義士記念館に行こうと思いました。近くのタクシーの人に、地図を見せてここまで行って欲しいと告げました。安重根という漢字を見せましたが、漢字はわからないかもしれません。そこに黒塗りの模範タクシーの運転手が寄ってきて、「知っているから乗れ」ということになりました。実際はすぐ近くにありました。さすが模範タクシー。
 記念館で、イルボンというと、別室に通されました。そこで25分くらいの映画を見たのですが、やはり日本帝国主義は極悪みたいでした。最後に山が割れて英雄が出てくる映像には、ちょっとびっくりしました。結構激しい作り方と思います。伊藤博文の映画を山口県光市大和町の記念館で見ましたが、それと比べると情感がこもっています。


家族で釜山へそして外島へ(2006.3.27-29)
 ソウルより手頃で、そして食べもののおいしいと言われる釜山に行ってきました。福岡からビートルです。よく鯨にぶつかるというニュースもありますが。やはり家族で行ってもソウルより安いですから。私は外島ねらい、家族はロッテホテルのディナーショーねらいです。
 外島は単独行動となるのでハングルのできない私としては、どきどきものでした。旅行会社にオプショナルツアーで頼んだのですが、2名以上いるかどうかわからないと言われてやめ、結局一人で行くことに決めました。行く前には徹底的にホームページで検索して情報を仕入れておきました。まず沿岸旅客ターミナルから長承浦に高速船で行き、それから外島行きの遊覧船に乗り換えるという方法です。
 初日は、釜山タワーに上りました。釜山観光ホテルが宿でしたので、そのすぐ上です。ここから釜山市内が一望できます。釜山はチングのロケで有名になったのですが、その映画は私にとってはもう一つで。家内の今回のねらいは韓定食としじみ汁でした。夕刻町を歩いて前からねらいを定めていた韓定食の見せに行きました。その後は、チャガルチ市場です。まあギンギラギンの魚とか、気味の悪いナマコみたいなものとか、またいけすにも魚とか、なんといってもわんさかあります。でもここは見るだけに
しました。
   
 2日目は、単独行動の日です。外島へ行きます。10:00発のデモクラシー号で、長承浦に行きます。値段は19200ウォン。私は用心深いので、本当に長承浦に行くんだろうなと疑心暗鬼で、ときどき電光掲示板に出る長承浦だけを確認していました。ハングルをたどたどしく読むと確かにギャラクシー号と書いてあるような。10:00発のギャラクシー号に乗りました。その速いこと速いこと、なにかにぶつかったら一貫の終わりだなと思いました。長承浦につくと、外島行きの遊覧船乗り場まで歩かなくてはいけません。そこからが大変です。「船が着いたらすぐに観光センターを尋ねて」とホームページに書いてある進言を忘れ、そのまま歩いて着いてしまいました。そこで日本人らしい2人とおばさんと、添乗員らしき人を見つけたので、この添乗員について行って、そのまま真似たらいけると考えました。ところがその添乗員ははじめから乗船券について話ができているらしく、そのままバーイと言って帰ろうとしました。次は私の番です。記入の用紙を渡されましたが、何のことやらわかりません。しどろもどろになっていると、日本人というのに気づいたのでしょう。その帰ろうとしていた添乗員を大声で呼び止めました。添乗員は嫌な顔をしながら、ここに氏名、ここにパスポート番号と日本語で言って立ち去りました。でも助かりました。それをメモしました。デジカメで撮っておけばいいのに。
 さあ後は所定の船に乗り込むだけです。その時刻ではその船しかないので大丈夫でしたが、帰りは同じような船がたくさん集まってくるので、その○○号のハングル文字を記号として覚えておかねばなりません。

 船のなかはいなかのおばさんたちだらけでした。まるでそのまま農作業からやってきたいでたちのおばさんもいます。日本で言えば農協のツアーみたいなものです(私のイメージだけですが)。日本人は私だけみたいで、さすがに冬ソナブームは去っています。乗務員は途中でスルメを売ったりと忙しそうです。そのまま外島に行ってくれればいいのですが、これもホームページに必ず書かれているのですが、金剛岩とか言うところに寄っていくのセットになっているらしく、それに近づくと、マイクを手にした運転手の口調が激しさを増してきます。「チャー〜〜」とか、叫んでいます。みんな船から身を乗り出して写真も撮りまくり。私は早く外島に行ってくれないものかとひたすら願うばかりでした。それが済むと本番の外島です。少し背丈のある島に向かって引き返していきました。
 ここで大切なのは、外島は私有地なので90分以内に出なければいけない点です。それをホームページで確認していたのが助かりました。というのは船内放送は、“チャングム”という言葉以外はさっぱりわかりませんでしたから。だから着いた時刻を覚えておいて、90分以内に船に戻ることを肝に銘じました。降りるときに自分の船のバッチをもらいますから、それを服につけておきました。


 これがあの劇的な再会を果たした島です。夕暮れのデッキの景色が印象的です。坂を上っていくと、それらしき建物が左手に見えてきました。一見すると屋根が飛んでいるように見えましたが、それは映像でも同じでした。ここは管理事務所となっているそうです。そしてメインの不可能の家。他のドラマでもよくロケされるそうですが。これかそうか。旅行会社のツアーだと、中に入れるようなことも書いてありますが、それまで強引なことをしたくありません。でも近くの中をのぞけるような所まで行きました。すると中にペ・ヨンジュンの額が掛かっているではありませんか。本当はあのユジンが触れたイスの所に行きたかったですけど。ここから立ち去りたくなかったですね。ユジンが降りてきた道の両端には比較的背の高い植物があったようですが、見あたりません。台風で飛ばされたのか?
 でも念願の外島にやって来ました。それも旅行者の案内なしで。我ながら立派なもんです。帰りの船では満足感で一杯です。長承浦に着くと、ホームページで見た料理屋に寄ってみようと思いました。写真と見比べてここに違いないと思われる店に入りました。店前の生け簀のヒラメを、30000ウォン分刺身にしてくれと強引に頼みました。それとビール。どうしてきたのかと尋ねられて、「winter sonata」と言いましたが、通じません。そこでペ・ヨンジュン、チェジュウというと、「そうかそうか、よく来た」とわかってくれました。そしてここの店のホームページを見せると、いっそう喜んでくれ、奥のマスターにも声をかけていました。そこにたまたま3人の女性がおられ、その方からも声をかけられましたが、ハングルでさっぱりわかりません。日本語と似ていそうですが、かえってさっぱり。英語の方がわかりやすいのです。
焼酎を飲め飲めと言うのでごちそうになりましたが、話すことがさっぱりわからないので、困りました。ハングルは漢字から来た言葉もありますが、発音からはそれだとわかりません。それがハングルを勉強したいと思ったきっかけです。ここはワサビも醤油も出してくれましたし、明朗会計でこれだけのヒラメの刺身が30000ウォンとは安いです。(チャガルチではぼられることもあると友人から聞きました。ご注意を)

 すっかり酔っぱらってしまい、いい気分でした。そのままギャラクシー号に乗って帰りました。ハングルが話せずにこんなところに来るおっさんはあまりいないだろうと、ちょっと自慢したくなりました。




 最後の日には、釜山近代歴史館に行きました。釜山は米の積出港として栄えたみたいですね。