冬のソナタの臨床心理学

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ユジンさん編

1.ユジンさんの接近と回避の葛藤
 ユジンの優柔不断さがドラマの揺れを作っていく。その揺れを見てみよう。
13話で「まるで違う人です。本当にチュンサンが生きていたとしても、私サンヒョクのそばを離れません。」と言いながら、14話では、チュンサンとわかって空港に探しにいくではないか?この矛盾はいったいなにか。

19話では「僕たち、これで会うのは最後にしよう」と言いながら、また「絶対に振り返らないようにしよう」と言いながら、簡単に会っている。こんなにころころ変わっている。ユジンは、離れればまた気になって追っていく。迫れば離れたくなる。そんな繰り返しで、これは接近と回避の葛藤と言える

2.ダブルバインド
 でもユジンの態度は優柔不断だけでは済まされない。ダブルバインドではないか。

チュンサンとサンヒョクの3者が折り合う場面では、けしてサンヒョクを選ぶとは言わない。

たとえば8話
「ユジンさんが愛しているのは誰ですか?」と尋ねられても「---」答えない。ところがサンヒョクと二人の時は(9話)遠回りながらサンヒョクに付いていくことを告げるし、またミニョンと二人の時には、「私が誰を愛しているのか聞きましたね。今答えます。私が愛しているのはサンヒョクです。」と言ったりする。

そしてサンヒョクはそんな煮え切らない態度を責める。「何で答えられなかったのか」と。あげくの果てにサンヒョクが「僕を愛してなくてもいいんだよ。愛してなくてもいいんだよ。だってどうせ、いままでだってそうだったんだから。」と告げると、「サンヒョク、あなたいままでずっと私に愛されていないと思っていたの。私が愛してないと思っていたの。」と切り返す。愛しても愛し返してくれないのに、それでも心から愛せと言われる。サンヒョクは戸惑うだろう。

また8話のバスでサンヒョクに会いに行くシーンで、「あなたのために来たのよ。あなたに会いにここまで来たの。」と言う。このようにもったいぶった言い方は、愛していない証拠である。これはかえってサンヒョクにとっては残酷なこと。

3.ユジンさんのトラウマの解消
 ユジンは、ミニョンがチュンサンと完全に違うと確信してから、チュンサンのことを話すと決めた。「私これからチュンサンのこと、時々話そうと思ってるの。そして今度こそほんとにきれいに忘れるわ。」という表現もある。チュンサンが自分との約束があったのに、思いかげず死んでしまったのは、まさにユジンにとってトラウマであった。

過去との照合ばかりに気を取られていたが、もう過去はないんだと思った。それがきっかけで過去の封印を解き始めた。これはトラウマの解決方法としての、再体験から開放へというプロセスと同じで、過去と立ち向かって未来へ生きようとしている。一方で、チュンサンとは違ったミニョンへの愛のはじまりとも言える。

途中でユジンが「過去にこだわらない」と表面上は決意してサンヒョクとの結婚を決意する。そして過去を清算しようとするが、チュンサンが過去を探し始め、過去を取り戻しそうになると、ユジンはまた過去にこだわり始める。

表面的には解決したように見えて、やはり過去にこだわっている。本当にその人かもしれないと思う点は、既に亡くなった人に対する喪の作業と違う。
「一つひとつ思い出すのは、プレゼントみたい。」というのは過去にこだわっている証拠である。
 
チュンサンの死をトラウマととらえたが、以下ではチュンサンへの思いをミニョンに写すのを陽性転移ととらえてみる。

 

4.陽性転移からその解消へ
 チュンサン似のミニョンさんへこだわる、しかしチュンサンとは似ていない。チュンサンの残像をミニョンさんに見いだそうとした。ここでは錯覚という表現を使っているが、いわゆる陽性転移である。しかし叶わないのがわかると現実に戻る。これが直面化である。

6話では、「一緒かと思ったが、まったく違った。」そこで決意した。「ばかみたいね。他人をチュンサンと思ったりして。私これからチュンサンのこと、時々話そうと思ってるの。そして今度こそほんとにきれいに忘れるわ。」

これは一度転移したが、現実と違うと直面化させられた。それは同時に封印されているものを解くいい機会であった。あの人は顔が似ているだけでチュンサンじゃない。そして違うのだったら回避する必要もなくなり、仕事も続けてもいい。
「私がここで止めたら彼のことを思っていることになるでしょ。」あくまで過去のチュンサンにこだわっているが、現実にはいないことを確信したいのだ。

しかし、実際にはチュンサンは生きていたわけだから陽性転移とは違っていたが。またバスに乗ったときに、思い出の後ろのシートにあえて座らないのは転移がなくなった証拠である。

心理学では嘘発見器の皮膚電気抵抗(GSR)というのがある。それとよく似ており、体は正直ということ。つまり直感は嘘をつけない。
 
結局、好きなのを知っているのはユジンの体。体は正直である。「この目が覚えているのよ。」体が覚えている。理屈ではない直感の世界である。

テストされているみたい。答えを教えてというのは、気持ちの奥底でチュンサンが本当は好きだというのが漏れそうで、それをごまかす方法を教えてと訴えている。


サンヒョクさん編

1.サンヒョクさんの合理化
 サンヒョクが、ミニョンに「ユジンがあなたの代わりに怪我をしたとは思わないでください。・・・・ユジンが助けたのは、ミニョンさんではないということです。だから必要以上の負い目は感じないでください。」と言う。

もしくは、チュンサンの影を追って助けたのであって、あなたに惹かれて助けたのではないと言っている。そう言って少しでも不安から逃れたいのだ。


2.サンヒョクさんの自信のなさ
サンヒョクはユジンに、「仕事を辞めろ」と一時は言い、それでいて「やはり辞めなくていい」と翻す、仕事を辞めろと言うのはそばにいないとミニョンに取られてしまうかもしれないという自信のなさであり、また「辞めなくてもいい」というのは、仕事を辞めて自分の元に来ても満足させるだけの自信がない。

要するに、あくまでチュンサンに取られたくないという対抗意識による強がりだけではないか。そしてミニョンがユジンを心からサンヒョクに預けようと言うと、「行くなよ」という。だったら、はじめから妨害しなければいいのに。


3.サンヒョクさんに表れる投影
「君は揺れているじゃないか」とサンヒョクは言うが、もっと揺れているのはサンヒョク方だ。これは自分の心にあることが他者に映して見える投影である。ユジンは「揺れてなんかない」と答える。

確かに、揺れているかどうかでは、ユジンは最初からチュンサンへの愛がすべてで、それがたまたまミニョンへ写されているだけである。それは終始一貫している。


4.サンヒョクさんにおける防衛機制
 派手な指輪とか、華やかな婚約式は、真の愛がないことへの不安を隠そうとするためである。つっぱりが強がるのと同じで、これは反動形成と呼ばれる防衛機制ではないか。

「その指輪ユジンさんらしくないですね。」とミニョンから指摘されるが、まさに感性の愛だけが主のミニョンとは違う。
 

5.サンヒョクさんの入院は疾病逃避?
 11話で、病気になって離れていったユジンを引き戻そうとする。これは疾病逃避ではないか。もう一度ミニョンの方にユジンがなびいたときにも、ひょっとして再度これをを使うと思ったがもう使わなかった。サンヒョクも強くなったのか。


6.サンヒョクさんのような待つ男性像
 サンヒョク役は暗いと受け取られるが、アジアではこんな男性は多いのではないか。台湾のある女子留学生が言っていたが、「帰るまで待っていて」と言うと素直に待ってくれるという。韓国ではそんな弱気な男性は嫌われるのだろう。

確かに以前の日本では男らしくないと非難されたと思うが、今はそうでもなさそうだ。韓国では人気がないサンヒョクも、日本では人気があるのもそのへんであろう。また。日本では個人主義に走る人が多くなり、自己犠牲的な人が少なくなった。そんなことも一因である。


ミニョンさん編

1.ミニョンさんの「絶対的な受容」シリーズ
 
 1)体をいたわる優しさ(親の基本)
「ココアどうぞ。憂鬱なときは、甘い物を飲むと元気が出ますよ。」
まずこの体をいたわる優しさ。親心みたいである

2)老婆心
ミニョンさんの老婆心@
19話で「ちゃんとご飯を食べて」という言葉がある。これは恋人への言葉ではなく、親から子の言葉のようだ。生きていてくれれば良いという最低限の要求である。

じいさんやばあさんが孫がいるだけでいいというのと同じ。
(ただ不登校の時には、「なんで学校に行けないか」とうるさいこともあるが。)

ミニョンさんの老婆心A
18話では、「僕がいなくなったらどうするんだ」という。心配のあまり、きつくなる。
18話でチュンサンがユジンに向かって説教する場面がある。これはまるで小姑の説教である。


3)利用される道具にまで成り下がる自己犠牲
 「僕はあなたが好きだけど、あなたが思っている人は僕じゃないでしょ。だったら、ユジンさんがしたいこと、望むことを助けてあげるのが、僕のできることだと思う。」(以前に朝ドラで、香川照之が泉ピン子に対してこんな役をやっていた 美しき日々のソンジェ(リ・シュオン)も同じ)
 
「ちょっと待って。用件を聞く前に、そのままもう少しだけこうしていたい。ユジンさんを見てていいですか。ほんの少しだけ、ユジンさんが何の用事もなく、ただ僕に会いに来たんだと思ったらだめですか。」

この極端に遠慮した姿勢がいい。美しい男性に、こんなことを言われて救われない女性はいない。
 
「僕にはその顔してもいいですよ。好きなときに思いだしていいでし。それから僕を見て思い出に浸っていいし。」


4)機転の利いた強引な優しさ
「車の鍵、ちょっと見せてください。」「どうして。」「いいからちょっと見せてください。」「僕の車で行こう。」
 
こういった頃のミニョンはまさに凛々しかったが、結局チュンサンが思い起こされた時点では、自分自身が選択できなくなってしまった。


5)ミニョンさんによる支持療法
「ユジンさんはいい人ですね。いい人過ぎて人を傷つけるんですよ。責めているわけではありません。今は思っていることを言った方がいい。何よりユジンさんがつらいでしょう。
ユジンさんがどんな選択をしても僕は味方ですから。」

 
これはまるでカウンセラーの言葉を聞いているような。言わねばならないときには、嫌われても言わねばならない。ミニョンには決断を迫る厳しさがあり、また自らも苦しみを共有している。最後には、どんな選択をしてもあくまであなたの味方だと。

カウンセラーは、クライエントのつらい選択を、自分も苦しみを共有しつつ横で支援している。このような対し方もカウンセリングとよく似ている。
 
 ただそれでも「どうしてそんなことを言ってしまったのか」と悔やむシーンもあるところが完全に強くなれないところだ。


2.厳しいミニョンさん
1)諭すミニョンさん
 「同じ景色を見ても、ユジンさんは何を見ているのですか?悲しい思い出しか見て居ないじゃないですか。世界は暖かくて美しいのに、孤独に生きるつもりですか?」

2)厳しいミニョンさん
「私ミニョンさんのことが好きです。だけど好きでい続けるわけにはいきません。ミニョンさんを選んだら、サンヒョクが気になるし、サンヒョクを選べば、ミニョンが気になる。私はどちらも選べません。・・・それが私の選択です。」と中途半端なことをいうユジン。

すると、「何も選んでいないよ。それは選択じゃなくて放棄だ。すべてを放り出した人を理解なんかできません。」と詰め寄る。

つまり支えにはなるが、それだけつらい選択を自分で選択して欲しいと願う。ミニョンはユジンの補助自我にはなるが、最後はユジンさん自身で決断してくださいという。こんな押しの強さには女性も感化されそうだ。これに後押しされて強くなった女性も多いだろう。
 
3.ミニョンさんの不安定な同一性
 6話「僕は似てるって言われるといい気はしないな。僕がいったいどこの誰に似ているっていうんだろう。」ミニョンの同一性(identity)が揺らぐ場面である。
 
13話でユジンが「本当にどうしたんですか。こんなことミニョンさんらしくないわ。」と責めると「僕らしいってなんですか。ミニョンらしいってなんですか。」「僕は誰です。言ってくださいユジンさん。僕は誰です。ユジンさん、僕は・・・チュンサンです。」という自らへの問いかけがある。これはまさに同一性の喪失である

過去の積み重ねの上に現在を統合していくのが自我のノーマルな成長である。過去がなく、現在から未来しかないミニョンはあくまで不安定である。
 

4.ミニョンさんのコミューニケーション術

4話あるいは5話
「ユジンさん、血液型、A型でしょう。」これはミンヨンさんが血液型占いを信じているからではなく、話をつなぐために言った言葉。

 

キム次長編

1.キム次長による情緒的サポート
「一杯やりますか」これがキム次長の決まり文句である。いつもミニョンがつらいときに、彗星のごとく現れていやしてくれる。会社にもこんな人がいれば精神衛生が保たれる。ホットタイムである。

ストレスの対処方法には社会的支援(ソーシャルサポート)があるが、それには実際に物を援助して支援する道具的サポートと精神的に支援する情緒的サポートがあるが、キム次長のは情緒的サポートである。


2.キム次長の潜在記憶?手続き的記憶?
 キム次長は愛の力で弾いていた。と言う。これは文脈主義による学習ではないか?
そこでミニョンが弾いてみると、弾けるではないか。これは記憶の手続き的知識か?

考えずにやったり、意識せずにするとできるのだ。書き方を忘れたときに、考えて書くとできないが、一気に書くと書けたりする。意識上の記憶にはないが、体が覚えている記憶である。


日本語版と完全版の違い
本当の原語でしかわからない雰囲気というものがある。1,2話は完全版で見た方が愛が深く感じられる。これは言葉でなく表情で二人の関係をくみ取ろうとするからであろう。しかし泣けるのはなぜか吹き替え版。言葉からのめり込める。
 
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