防長医学史

華浦医学校校舎・生徒写真華浦医学校校舎・生徒写真(山口大学医学部創立50周年記念誌より)

 わが国古来の医療や疾病の歴史は神話時代の記録からうかがうほかはないが,奈良時代に律令国家が確立してからは,大陸の影響を強く受けながら,平安,鎌倉,室町時代へと,漢方医学や鍼灸医療を中心として医学・医療が展開されていった。
 16世紀,安土桃山時代にいたり,大航海時代に入った西欧から押し寄せてきた新しい文明の中には外科を中心とした南蛮医学があった。17世紀江戸時代に入ると,鎖国令がしかれたが,長崎を窓口としてオランダから紅毛外科が入ってきた。
 周防国と長門国(防長二州)が今日の姿となったのは,毛利輝元の萩藩開府(1604)に始まるが,医療活動については,萩宗藩と4つの支藩(長府藩・清末藩・徳山藩・岩国藩)で独自の展開をみせ,中国や西洋の医術を積極的に取り入れて医療活動を展開した。当地が長崎と比較的近距離にあることや交通の要衝にある下関の存在が防長医学の発展を促進したと考えられる。

参考資料